『自由くん』と『孤独ちゃん』

母を失って3年。母の命日からブログを書き始めて1年。独り身なので毎日自由だしラクちんですが非常に孤独です。お笑いばっか観に行って、仕事しては愚痴ばかり。母のことを思い出しては、未だにメソメソ。…さて、こんな私に家庭を持てる日は果たして来るのでしょうか?

向いてない

なんか久々に3日働いたような気がする。

2日行って休み…とかがいいな。やっぱ。

疲れちゃって昨夜の『ばばあの罠』も『鶴の間』も聴いてない。まぁ、『ばばあの罠』に関しては、公録で1回聴いてるからまぁいいや的なとこはあるw

あとでゆっくりradikoタイムフリーで聴きます。

 

 

 

それよりも、たまたまかけたNHKで『NHKスペシャル』がやっていて、それに見入ってしまった。

〝彼女は安楽死を選んだ〟というもの。

 

途中からだったけど、〝彼女〟の話し方で「病気なんだな」っていうのは分かった。

…でもまさか母と同じ病気だったとは。

余計にギュッとなった。

 

母がまだ生きていて、この番組を見たら、どう思って何を言っただろう…と想像した。

亡くなる1ヶ月前には寝たきりになってしまって、ヘルパーさんに「死にたい」とこぼしていたという母。

生きていて欲しい…というのはただのエゴなのかもしれないと悩んだ日々。生きていて欲しいけれど、色々なことがうまくいかなくて。病気も悪化してくばかりで、恐くて、イライラして。結果、母に当たってしまっていた。

最低だ。私は最低だ。

 

 

番組の中では、延命を選んだ方も出ていた。

同じ病気で。

気管切開をし、痰の吸引をされていた。

 

母も、気管切開を医師から勧められていた。

でもそれは断った。

声を失ってまで生きたくないと。

 

ただでさえ、病気で呂律が回らなくなってきており、何を喋っているのか分からなくなってきていた。なのに、プラス、声も失われるのかと思うと、私もそれは嫌だった。

 

だけど医師は、治すためにいる訳だから。

なんにもしないなら、もうできることは無い…という感じだった。未だに忘れられないよ。あの、気管切開を断った私たちへ向けた顔。

ムッとしててさ。

 

亡くなった時も、ただ黙って母の顔を見ていただけ。

私は、あの医師のことは許してない。

治せもしないくせにあの態度はなんなんだ。

いっつもおんなじ薬を出すだけ。

介護度は上げてくれないし、屁理屈ばかり言ってた。

 

気管切開しないなら、いつ何があってもおかしくないから一筆書け、と言ったあの医師。

もちろんそれは覚悟の上で、署名した私たち。

 

 

母が亡くなったのは、それから3日後のことだった。

 

例えば気管切開をしていたら・もっといい医師を探して受診していたなら、もうちょっと長く生きてくれていたんだろうか。

でも、母はそれを望んだだろうか。もっと生きたいと思っていただろうか。それとも、早く逝きたかったのか…。

本当のことなど、母しか分からない。

もう、訊けるわけでもないし。

 

亡くなった日、一度心臓や呼吸が止まってしまって、それを救命の方々が復活させてくれたのだけど。

もっと生きてほしいのなら、もっとやり方はあったんだと思う。でもきっと植物状態で、管に繋がれた状態で生きながらえることになる。

…それは望まなかった。

 

寝たきりだったベッドで、毎日哀しそうな顔をしていた母が、またコッチに戻ったところでもうツラいだけなんだろうと。

 

あんな短い時間で、凄く重大な決断をした私たち。

 

それが正しかったのかどうかは、今も分からない。

きっと一生、分からないこと。

あの世へ行った時、母に訊くしかない。

 

 

番組の中で、延命を選んだ方が桜を見て泣いていた。

どんな想いの涙だったのだろう。

 

安楽死を選んだ方の方も、「幸せだったよ」と言って亡くなっていった。

 

どちらが良いなんて、そんなこと分からないよね。

 

 

生きていたら、また見られる景色がある。

交流できる人がいる。笑い合える。

 

でも、自分が自分らしくいられる時に死んでいきたい・苦しみから逃れたい…というのも分かる。

自分で自分のことができなくなったら…自由に出かけたりできなくなったら…その時点で〝自分じゃない〟と思うかもしれない。私は人より自由を求める人間だから、私だったらこちらを選ぶかもしれない。

 

だけどね、どちらも自分で出した答えならそれが正解なんだと思う。

そして、残された家族はそれが正解かは分からないままずっとそれぞれの想いを抱き続けるものなんだと思う。

分からないとしても、自分なりに「こうだったかも」「あぁだったかも」と噛み砕いて・思い込んで、そうやって生きてくしかないんだよ。

 

治らない病気、だったんだから。

 

難病っていうのは本当に残酷。

どうして治らない病気なんかあるの。

どうして母はそれを患わなければならなかったの。

ずっと頑張ってきた人だったのに。

家族のために、生きてくれていた人だったのに。

 

何かの奇跡が起きて、急に治るかもしれないという一縷の望みを持っていたから、私は母が例えば「安楽死を希望したい」と言ったとしても、認めてあげられないかもしれないなぁ、と思ってしまった。

でもそれって病気の当事者じゃないからそんなこと言うのかもしれないよね。実際はどれだけツラかったか理解できてもいないくせに。

だけど私は母に元気になってもらって、また色んなとこに遊びに行って欲しかっただけなの。でも、人生を終わらせてしまったらそれはもう二度とできない。難病だと言われたって、「治る」と私は思いたかったんだ。

 

 

今更どうこう言っても、母が戻ってくれるわけじゃないけど、、、

番組を見て、色々考えてしまって。

茫然として動けなくなっちゃったの。

言葉も、どんな言葉選んだらいいのから分からなくなっちゃった。

 

またメソメソしてる…

って、怒られるかな。

 

 

とにかく私は、今、何でも願いを叶えてくれると言われたら、母とまた話したり出かけたりしたい。

 

 

大切な人とは、もう別れたくないよ。

 

 

 

 

 

 

 

なんかね。

 

そのことで今日は割と考え込むことも多くて。

心てきには〝落ち込み〟という感じ。

 

でも仕事やっと終えて家に帰ったら、スピッツの会報届いててさ。

やったー!ってテンション上がって、そのテンションそのままに、Twitterに会報の写真載せちゃったの。

 

これが、馬鹿な行為だった。

 

まだ届いてない人もいるようで、フォロワーさんの呟きに「楽しみにしていたのに見てしまった…」てきなモノを発見してしまった。

更に、そのコメントには批判がたくさん。

 

あぁ…私はやってしまったんだな。。

 

 

 

なんかね。

表紙ぐらいなら、という気持ちだったの。

どうせ会員みんなに届くものだし、ちょっと時間差あるだけでここ数日できっと全員見るものだから、いいか…と。

 

でも楽しみにしてる方からしたらたまったもんじゃなかったようだ…。

 

もう、ひたすら謝ったよ。

当該ツイートも削除した。

他の人もうっかり見ちゃって傷つくかもしれないし。

 

よくよく聞いたら、そもそも載せてはいけないものだった…らしい。

10年以上も所属してても、そんなん全然知らなかった…。テンションだけでツイートしちゃってたよ。。

 

 

でもなんか、今まで自由奔放にツイートしてたものが、今後はめちゃくちゃ気をつけなくちゃならないのかと思うと、窮屈感を感じたのも事実。

 

 

私、SNSなんか向いてないのかもな。。。