https://bunshun.jp/articles/-/36979?page=1
ラリー遠田さんのコラム?をヤフーで読んだ。
「志村けん 死亡説」のことを書いていたので、今こそその〝死亡説〟であって欲しいと思っていた私は、共感したところも多かった。
ラリーさんは、同世代だ。だから余計に。
特に共感したのは〝志村離れ〟のところ。
確かに、考えてみれば私もそうだった。
〝シムラー〟でずっと生きてきたと思っていたけれど(ついでに言うと〝タモリ教〟でもある)、途中確かに、志村離れしていた時期はあったんだよ。
小学生の頃、ドリフを初めとして志村の笑いがすべてだったのに、思春期にさしかかると、なんだか志村の笑いはお下品に感じてきたというか。
歳を重ねて色気づいてきた所為で、志村の笑いを観ている…ということを恥ずかしいと思うようになってきたのかもしんない。志村なんて、子どもが好きな笑いでしょ?…みたいな。
ラリーさんが書いてた、「コロコロコミックから少年ジャンプに憧れるようになる」…これがまさにそうだな、と。
赤ちゃんの頃まで遡れば、ほぼ全員「アンパンマン」を通ってくるのに、ある時急に「アンパンマンなんて赤ちゃんの好きなものでしょ」となる。
それなんだよ。
なんか背伸びしたくなって、違う笑いを求めるようになった、、、
って、ほんとそう。
『夢で逢えたら』なんて、凄くスタイリッシュな笑いに見えたし(実際そうだったと思うし)、それを観ている自分、オシャレ。みたいな。
みんな志村世代なのに、一旦離れたような。
だから死亡説が生まれたのかも、とか。
けど志村はずっと変わらないお笑いを続けてきてくれていて、だからこそ、みんなは戻れた。
そして戻ったみんなが気付くんだ。
「やっぱり志村の笑いは最高」って。
だけどそれを急に失った私たち。。
一瞬のエゴで、志村離れしてしまった自分を恥じたいと思った。
ずっと変わらないお笑いを続けてきてくれていた志村に感謝しかない。
そしてそれを、もっともっと観ていたかった。
「お笑い教科書の1ページ目」
ほんと、そうだよなぁ。。
だから私は今もお笑いが好きだし、
そのベースがあるからこそ、の今がある。
土台を作ってもらえたことって、こんなに幸せなことなんだ。
志村の笑いを観てきたのとそうでないのとでは、感じ方が全然違うだろうなぁ…って思ったりもする。
志村の追悼番組がいっぱいやっていて。
今日は、『志村どうぶつ園』を観た。
共演者やスタッフからはもちろん、動物たちからも本当に愛されていた園長の姿に、何度も何度も泣いてしまって、嗚咽が止まらなかった。
正直、人の死でこんなに泣いたの母以来かもしれない。
それだけ存在の大きい人だったんだなと思う。
みんなみんな、志村が大好きで。
離れたくなかったんだよね。
優しくて、頭がいいからこその
生み出される、笑い。
それが、みんな大好きだったんだ。
なんでアッチに行っちゃったのかな。
私たちをおいて。
絶対、明るく、笑って送り出した方がいいに決まってるのに、志村の笑顔が優し過ぎるから、涙ばっかり出ちゃう。悔しいよ。
私だって会ってみたかった。
『志村どうぶつ園』を観てると
本当に逝ってしまったんだろうか。と思った。
やっぱり死亡説なんじゃないのかな。
そうだよね。
今でも、セクシーお姉さんのベッドで隠れて添い寝しようとしちゃうんでしょう?
隠れてるだけだよね。変なおじさんなんだから。
ブーさんが
「決めた。志村は、しなない。」って言ってたの。
ドリフターズの全員が逝ってから初めて、志村はドリフのメンバーからしぬのを許されるはず。
きっとそう。
だからまだしなないんだ。
いるんだ。
だってドリフまだコッチに3人いるもん。
はぁ。
また動画観ちゃうな。
志村を追っちゃうな。
だってこんなに面白いんだもん。
だってこんなに観てられるんだもん。
先が分かってても面白いんだから。
面白いものは、いつだって面白い。
何回観たって面白い。
それが知れたのだけでも有り難い。
志村が変わらないスタイルで笑いを届けてくれたことに、心からの感謝を。
今後もまたたくさん志村の番組観ちゃうな〜。
その都度、泣くんだろうなぁ。。。
2020年4月。
こんなに泣くとは思わなかったな…。