『自由くん』と『孤独ちゃん』

自由と孤独は表裏一体

4年と5ヶ月目の、月命日。

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月命日には休むことにしているので、今日と明日でSPAMALOTのチケを取ってしまった私。

 

でもちゃんと、早めに起きてお墓行きましたよ。

(当たり前)

 

先に父がお墓行ってたので、追いかけるように私も。着いたらちゃんともうお花が生けてありました。いやー、いい百合だ。青空に映える。

 

いつもは私はお墓の敷地内に車を停めてしまうのだけど、父の車があったのと、他に先客が居たので停められなかった。

なんならその先客が話しかけてきたんだが、どうやら墓石業者だったっぽい。

近所の人が亡くなって建墓するにあたり、今日は生コンの作業があるから機械どうするか見に来たとかなんとか。。。

 

おかげで、今日はほとんど母と語らえなかった🤦‍♀️

 

でもきっと言われることは分かってる。

「あんた、遊びすぎんじゃないよ」

…ね。笑

 

ごめんね、いい歳こいてうすうす歩ってて…😅

 

 

 

業者に話しかけられた父は面倒くさそうにしてたし、私もそれにつられて業者のオヤジをあしらってしまったw

 

「いい石ですね」と母の墓を褒めてくれたので、「お母さんだからね。(だから明るい石なんだよ)」と言い放ち、父とそこを去ったのでした。

 

 

 

 

私にとって母は絶対的存在で、想い出もそれはそれは沢山あるはずなんだけど、時々……思い出せなくなることがある。

 

じろうさんが東奥日報で書いてるコラムを読んでると、そんな具体的な想い出、私にあったかなぁ…?と思うことがあってたまにとても悲しくなる。

 

いや、あるんだよ?

 

でも急に思い出そうとすると出てこなくなる。

何なら、妹がいきなり知らん想い出話してきて「なにそれ知らない…」って凹むこともある。

 

なんか、思い出そうとすると、母が病気になってからのことばかり思い出してしまう。そうじゃなくて、もっと一緒に出かけたこととか、子どもの頃のこととか、そういうの思い出したいのに。。。

 

でも、皮肉なことに、病気になってからの方がつきっきりだったから、距離も近かったんだよ。お互い元気だったらそれぞれがそれぞれに遊びに歩ってたから一緒じゃなかったけど、病気になってからはずっと一緒だったから。

それを思い出してしまうのは仕方ないことなんだとも思う、一番近い記憶でもあるし。。

 

 

私の中で母は生きてる。

そう思ってるけど、ちゃんとしっかり元気だった頃の母を思い出してあげないと、嘘になっちゃうような気がして胸が痛い。

 

でもなんか今でもね、スーパーで買い物したりしてると、ふと角を曲がった時に母がいて、調味料か何かを選んでて、「あ、いたいた!」ってなるんじゃないか、、、って思ったりもする。

 

毎月毎月メソメソしたくないけど、

会いたいなぁ。やっぱり、会いたいなぁ。

 

 

会って、

 

ちゃんと、

 

 

そう、こんな顔でこんな声だったよ。

って確認したいんだ。

わかってるけど、

ちゃんと確認したいんだ。

このまま会えないと、記憶がどうなっちゃうのかもう自分でも自信が無くなってきてる。

歳に抗えないのが怖い。

 

 

忘れたくないよ。

 

忘れたくないんだから。

 

 

助けてよ。