『自由くん』と『孤独ちゃん』

自由と孤独は表裏一体

震災から10年

あれから10年が経った。

「もう」10年なのか。

「まだ」10年なのか。

いずれにしても、あの日のことは今でも鮮明に憶えている。

 

私は運が良いことに、家もあり、停電したのも水が止まったのも2日ぐらいで済んだ。

 

しかし私が住んでいるところは地震が多く、先日も割と大きい地震があったので心配だ。次に大きい地震がきたら、確実に家は壊れるだろう。

 

 

あの震災の日、職場のオジサンが「こんなの生まれて初めてだ」って言っていた。そのオジサンにとって初めての出来事ならば私にとっても初めてだし、あんな津波が起こるなんて、想像できなかった。

 

今日で10年だから、昨日も津波の映像が流れていた。

全てを流していってしまった津波

なぜ、あんなことが起きなくちゃいけなかったのか………。

 

私は大洗の津波の写真も見たしどこまで来たのかも見たし、震災後、社員旅行で宮城に行った時に被害に遭われた家も見た。

それだけでも恐怖だったけれど、実際に遭った方々にとっては、私には想像できないほどの怖さだったろうなと思う。

 

 

あの日は他の社員がワンセグで東北の映像を見ていたから少しは何が起こってるのか見えたものの、あの停電の中情報を得るのはかなり難しく、ただただ不安だった。これからどうなるんだろう、そればかりだった。

 

しかし居間で家族4人、ラジオをかけながらろうそくをたいた明かりの中で足と足を寄せ合って寝たりだとか、とにかく両親が割と明るかったのですごく心強かったんだよね。

 

あの日、家の近くで見た母の後ろ姿。

 

確かに、あの時母は元気だった。

そして食べ物を分けてくれた祖母も元気だった。

 

2人は確かに生きていた10年前。

 

 

 

時の流れは儚くて残酷だと思う。

 

 

 

 

どうしてあんな災害が起きなきゃならなかったんだ。どうしてたくさんの命は奪われなきゃならなかったんだ。。

 

 

 

 

なんかね。

 

こないだSPAMALOTを観て、じろうさん演じるフレッド卿が「まだ生きてるよ」って歌っていたけれども、、、

 

ほんとそんな風にね、「まだ生きてるよ」って出てきて欲しいな、って思ったんだよあのミュージカルを観た時。

ふざけてるわけじゃない。真面目にそう思った。

 

震災は関係ないけど

母にも、祖母にも、

あと、志村にも、、、

 

みんなの大切な人も、そうやって出てきてくれたらいいのに。

 

 

人の命は永遠じゃないけれど

やっぱり、先に逝かれるのは悲しいよ。

 

 

 

あの日、

たくさんの人の、たくさんの大切な人が亡くなったのかと思うと、自分も大切な人を亡くしてる身としたら本当に悲しい。しかも突然いなくなってしまうなんて、胸が苦しくてたまらない。

ご自分を責めた方もたくさんいるんじゃないかな。

 

 

起こってしまったことはもう過去のことであり、仕方のないこと。過ぎたことにいちいち腹を立ててどうする、クヨクヨしてどうする、、、

 

といったことが『甘いお酒でうがい』のあとがきに書かれており、しかもそれは自身のお母さんの死に関してもそうだということが書いてあったのを読んだ時(というか今読んでも)、涙が噴き出すように泣いた。

 

「過去」だと簡単に割り切ることはできないこともたくさんあるのだけれど、でも、我々はもう過去には戻れないのだ。前を向いて進むしかない。

亡くしてしまった大切な人が、すぐ傍で見ている。その人に悲しい顔はさせたくない。ならば今自分は楽しんで一生懸命に生きるほかないのだ。未来を見るしかないのだ。

 

 

大切な人の想い出を胸に。

 

明日からも頑張っていこう。。。

 

 

 

 

 

 

今日、私は仕事で、

14:46に丁度時計を見た。

仕事中だったのもあり黙祷はできなかったのだけど、様々な想いを馳せてしまった。

今は穏やかな海でも、あの日は黒い悪魔だった、、、と思うと、やはり怖かった。

 

 

今、私を含めて生きているみんなには生きている理由がある。

 

ツラい記憶が時に胸を傷つけるけれど、

歩いていこう。一歩ずつ。

 

 

 

 

でももう大きな震災は起きませんように。。。

COVID-19も早く鎮まりますように…。