『自由くん』と『孤独ちゃん』

自由と孤独は表裏一体

歩いて帰ろう

お盆ですね。

 

今日は12時半くらいに家を出るので、午前中にお母さんのお迎えです。

本当なら夕方なんでしょうけど、、、私の都合で早くてごめんね😅

だから昔から怒られるんだ…私は自分勝手だから💧

 

だいたい10時くらいに迎えに行こうと思っていて、出かける時は傘をささなくても良いぐらいの雨レベルだった。

父が朝イチで花と水は持って行ってくれていたようなので、お線香とちょうちんを持っていく。

でも雨が続くようなのでちょうちんは濡れないようにビニールを被せてカバーしておいた。お線香入れもトートバッグなんだけど、ビニール袋に入れ直すことにした。

 

車で行けばそんなことしなくても良いんだけど、お盆だからお墓も混んでるかもしれないし、私は何となく、歩いて迎えに行きたくて。。

 

子どもの頃、夏休みは祖父母宅によく泊まりに行っていて、その時にはみんなで歩いてお墓までご先祖さまを迎えに行っていた。その印象がずっとあるからだ。

子どもちょうちんをぶら下げて、いとこたちとワイワイしながら行った。

確か、母たちは新盆まわりに行っていて居なかったような気がする。

親たちはお盆は忙しい、、、というイメージだ。

 

しかしここ数年、お盆はのんびり。

母の新盆の時ぐらいだろうね、めちゃくちゃお客さんが来てめちゃくちゃ忙しかったのは。。

 

静かなほうがいい。

 

 

歩いて10分弱の距離のお墓へ行って、ちょうちんを墓石に置いた。うちの方では、ちょうちんを墓石(灯籠)にかけることで、「迎えにきた」という意味になる。

しかしウチは門柱に灯籠を付けなかったので、花筒の石のところにちょうちんを挟んだ。

 

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それからお線香をあげる。

もう、朝早く来た方々が居たみたいで、香炉は煙がもくもくしていた。

 

お墓は思ったほど混んでなくて、車が1台停まってたくらいだった。どこの誰か知らないし、メガネしてなくてよく見えなかった。

しかしその若夫婦、帰ろうとする時にも何にも声かけて来なかった。

去年だかも、私から挨拶したのに無視されたり、、、なんで、お墓で会う人ってそういう感じなんだろう?確かに知らない人だけど、挨拶って普通しない??

しかも新たな家庭を作ってる人たちって普通もっと独立してて(ご祝儀とか香典も家庭ごとに出すし)、そういうところって積極的に挨拶するもんだと思うけど、、、

 

「嫁」と思われる女、スーッて言っちゃった。

あとから付いてきた旦那は、少し会釈してくれたけど。

 

 

なんなの?

そんな嫌われてんの?

村八分??

 

親戚たちとわいわいお墓でやってたことはあったけど、他人(知らない人)はほぼシカト。

 

…そういう文化なのかなぁ。。

「知らない人とは関わらない」…みたいな?

田舎なのに??

 

私はそういう人になりたく無ぇけどな。。

 

 

「自分は自分」

ですかね。。。

 

 

 

 

母のお墓にお線香をあげたあと、

父方の祖父母のお墓へ。まだお花が無かったので、じぃちゃんばぁちゃんまだお墓に居たよね😊

それから本家のお墓、父のいとこのお墓、私の幼なじみのお父さんのお墓、、、といつものところにお線香を。

 

だんだん雨が結構降ってきたのであまり長居はせず、「じゃ、お母さん帰ろう!」と、また家路を歩き出した。

 

傘をさしたその横に、母がいるイメージで。

 

 

病気になり始めの頃、バランスがとれなくなってフラつきが増えて、母はよく私の腕を掴んだり手を繋いだりして歩いていた。その頃の記憶が蘇ってきた。

 

レストランでバランスを崩して隣の席の女性に少し当たってしまった時、「なんなの?😒」みたいな顔されたっけなぁ…

とか、余計なことも思い出した。

 

見た目が「普通」だからって、その人が病気かもしれない、、、だけどそんなこと、世間の人には理解されないんだな、と悲しかった出来事。

 

「見えてるもの」が全てじゃないんだよ。

 

そういうところにも

気づける人間でいたいなぁ。私は…。

 

 

 

 

私は幼い頃は体が弱く、しょっちゅう風邪をひいたりしては、母を心配させていた。

中学でバレーを始めてスポーツをやるようになってから少しは体が丈夫になってきたのだが、オトナになってからも精神的な何かに襲われて殆ど食べられなくなった時もあったし、婦人科系の病気で入院や手術もして、その時その時、全て支えてくれたのが母だった。

 

今思えば優しい嘘もついてくれたり、

手術あけには手を握ってくれていたり。

 

 

そんな母に、

私は何をしてあげれていたろうなぁ…と

よく考えては、泣く。

 

もっと、もっと

支えてあげたかった。

もっと、もっと

一緒に居たかった。

 

 

でももうそれは叶わないし、

これからどういう行動をとったとしても、母のリアクションは返ってこないのだ。

 

 

 

そんなことを

ずっと考えながら歩いていたら、家についていた。

 

せっかく母が帰ってきたというのに、

暗いまんまじゃダメだよね!

 

 

それからはずっと笑顔で。

 

出かける間際までバブル灯を灯していた。

 

 

でも結局、私は推しのために外出することになり、昼食を摂ったら「出かけるね!」と外出😅

また、母を留守番させてる…🤦‍♀️

 

ごめんね…。

 

 

 

 

外は大雨。

 

さすがの晴れ女の私でも、今日は無理だったか。笑

 

 

 

 

 

気をつけて行ってくるね。

なるべく早く帰ってくるからね。