気づけば梅雨入りしてしまった。
ブログを更新する頻度もだいぶ減ったように思う。
もともとシソンヌライブ[sept]がどれだけ良かったか…!を書きたくて始めたようなブログだったが、最近では推しがアイドルのようになってしまい、その周辺のグルーピーのあの感じに疲弊し、推し活はなんだか手放しでは楽しめなくなってきた。
…いや、ライブ(寄席)は行ってるけれども。
でもそれも何となく義務感というか、前みたいに「楽しみで楽しみで…!」という純粋な気持ちでは無くなってしまった。元・お仲間さんとうっかり出逢ってしまったのも原因だと思うけど。
推しは、母を失ってからようやく見つけた微かなヒカリだったというのに、こんなにも人間関係で心がヤラレるとは思わなかったよね。あの短期間でどれだけ傷つけられたか。。
色々引っかかる出来事があっても、「自分が我慢すればこの関係は続くのだから」と思って耐えていた。だけど、私のことを大切にしてくれない人とこれ以上我慢してつき合っても自分がツラいだけ…という思いもあったので、今の状態は遅かれ早かれ起きていたのだと思う。いい大人になって、あんなにもLINEでズバズバ嫌なこと言ってこられるとは思わなかった。いま思い出しても怖くて震えたりする。もうPTSD。
結局、推しを観に行くとその時のことも同時に思い出してしまって心から楽しめない…というのがある。
こんな風になるなら最初からずーーーっと1人だったら良かった。
本当は、一緒に遠征したりするのめちゃくちゃ楽しみにしてたのにな。
どうせ私なんて人と出逢っても離れていっちゃうんだ。どうせ独りになっちゃうんだ。
それがここ最近の悩みなので、誰かと繋がることが怖かったりする。
話せる〝推し仲間〟も居るにはいるのだが、まだ実際には会っていないし正直「会いませんか」と言うのが怖い。また関係が壊れるのでは…と思ってしまうから。
「楽しい」ことが「楽しくなくなって」きてしまった。
なんかそういう時でも、お母さんが居たら気軽に愚痴れたし、「ランチでも行かない?」つって美味しいもの食べに行って、悩みなんてどーーーでも良くなったりしてたのにな。
完全に母に依存してしまってると思うけど、私にとっての唯一の味方は母親しか居なかったのだと思う。
そんな大切な存在を失ってもうすぐ6年。
こんなにも「お母さんが居ないこと」に慣れないとはね。
グズグズ悩み出した独りの時間にふと「どっか行かない?」って声をかけて、それにのってくれるパートナーでも居たらなぁ。と思ったりする。
でも今の私は「断られるのが怖い」からそもそも友人に声をかけることすらしない。
だからずーーーっと独りの時間を過ごしては鬱々としている。
こんなことなら今日は献血でも行けば良かった。
雨だからやめちゃったけど。
私のバイブルでもある『甘いお酒でうがい』を読んでから、雨を好きになろうと何度も思ったけど、やっぱり気持ちが晴れなくてどうしても好きになれないんだよなぁ。だって、曇ってて外も暗いんだもん。暗いとどうしても心も暗くなっちゃう。
私はまだまだだなぁ。佳子さんのようになりたい。
梅雨入りしたし、こういう気持ちはしばらく続いてしまうのだろうか。
あーあ。
美味しい街中華にでも行きたいな。
なんも考えないで、誰かと一緒に行きたいよ。
結局、独りだと色々考えちゃうもんだからさ。。
今回ブログを書こうとしたキッカケはそんな暗い話では無くて、東奥日報が届いてじろうさんのコラムを読んだから、、、なのに、なんで↑のようなこと書いてんの?まじで意味わかんないw
あれこれ連載を持っている文才・じろうさんのコラムを読むのがとても好きなのだが、中でも「何か書きたい」と突き動かしてくれるのはやっぱり東奥日報さんのコラムだ。それはきっと、お母さんのことがよく書かれているからだろうなぁ。
今回書いてあった「母が一番どうかしていたのかも」っていう言葉、、、これ好きだったなぁ。
なんか、お母さんのそういう豪快さ、って凄く救われるところがあるよね。「ま、なんとかなんでしょ!」みたいな。
多分本当はお母さんもそれなりに悩んだりしてたんだと思うの。(うちの母の場合ね)
だけど私の心の中が読めるみたいに、急に快活な感じになって私を安心させてくれる存在だった。
おばさんゆえの荒さとか豪快さではあったのかもしれないけれど、それが時として子を救ってくれるんだよ。
母が私の前で弱さを見せるようになったのは、私が大人になってからだもんな。母が泣いたのを私が初めて見たのは、祖父(母の父)が亡くなった時だったから私は20代半ばくらいだった。
逆に言えば、それまでずっと私の前で泣いてこなかったのとか本当に凄いと思ったんだよね。
そりゃ、、、妹が赤ちゃんの頃激しい夜泣きをして、父がめちゃくちゃ怒って(それもどうかと思うけど🤦♀️)、それに対して母が泣いてるような声でギャーギャー言ってるのが聞こえてきたことはあるよ?
だけど〝私の前〟では一度も無かったんだ。
だからもしかすると母はずっと「強い母親」を演じてきてたのかもしれないな〜…といま思ったりもする。
それにどれだけ救われたんだろうな。
いま、そう思ってもなにも返せないのがつらいけど。
大切なことはいつも失ってから気づくんだ。
それにしてもじろうさん、
小学〜中学の頃から麻雀やってたとか、もう親から麻雀の英才教育受けてんじゃんねw
羨ましい。
私はドンジャラばっかりだったので、麻雀覚えたい、、、と思いながら覚えられず今にいたる。。私も父親から麻雀教わりたかったな〜。覚えたいっていうのは今でもずっと思ってるし、なんかそういうカルチャークラブみたいなのに行ったらおじさんが優しく教えてくれるかも?とか時々思ったりするw
老人になってからでも楽しめるし脳トレにもなるっていうし、そういう意味でもやりたいんだよね〜。
って、そう思いながら人生終わっちゃいそうな気もするけど。笑
だけど、「楽しい」ことが「楽しくなくなって」きてしまった今、新たな楽しみを見つけたい、、、っていうのはずっと思ってる。いま、私には「推し活」しか趣味がないから何となくの義務感で寄席にも行っているけれど、新たなことが見つかれば今の推しに依存し続けることもないんだよね。
本当は多分、新たな推しを見つけられることが一番なの。ずーっと何かを推してきた人生だから、私は何かを夢中になって推してる、ってことが性に合ってるんだと思うのよ。
でも、前に推してたバンドが解散になってからは、スピッツとさまぁ〜ずを何となーく「好き」ってなってただけで〝夢中〟ってのとはまた違ったし、今の推しに〝夢中〟になるまでおそらく10年くらいかかってるからそう簡単には推しって見つからないような気がしてる。
そう、、、
だからこんなに簡単に人間関係で「夢中になったもの」を壊されたくなかったのよ。やっっっとの想いで見つけたんだから。
けどそんな風になっちゃうくらいなら、もっとライトな「好きなこと」を見つけたいよね。簡単に壊されたとしてもそこまで心が被害に遭わないようなやつをさ。
あれこれチャレンジしてみたいよな。
でもそのためにはお金と時間が要るんだよ。
でも仕事忙し過ぎるし、今お金は推しで手一杯。。
自分のために転職、、、
っていうのも、またひとつの方法なのかもな。
今月また3人も辞めちゃうんだよ。
私、そんな中でやってく自信も失くなっちゃってさ。。。
こんなこと言って
お母さんなら何て言ってくれたかな。
(結局、それ)
あ、
今回のコラムのなかで、もうひとつ。
巨大台風が襲って停電の中、家族麻雀に勤しんでいた…という話を読んで、、
東日本大震災の時、うちも停電になって、
でも母は父のために晩酌のビールをコンビニに買いに行ってて(他の店に買い物に行ってた時に母は地震に遭い、その品物を売ってもらえなかったという)、母が買ってきたビールを、それこそロウソク1本立てたリビングで父がニコニコで飲んでて、冗談なんかもやたら飛び交ってて、家族でゲラゲラ笑ってて……私は何となく「あぁ、この家族の一員なら大丈夫だ」と思えた、、、そのことを思い出したよ。
そして、あんな状況の中でわざわざコンビニまで行って「お父さんのビール買わなきゃ!」ってなってた母は〝どうかしている〟と思う。笑
近所の人にも母がビール買ってるのを見られて「こんな時にビール?」と笑われたとなw
だけどなんとなくあの夜、怖かったけれど凄く心強かったんだよなぁ。最強だと思った。
そんな家族の温かみをね、
ふと気づかせてくれるんですよ。じろうさんのコラムは。
いつもありがとうございます😊
結局、推しに救われるんだわね………。笑