すっかり夜になっちゃったよーーー。
お母さんごめんなさーい😭
仕事をフルタイムでやった後にお墓に行くとこうなっちゃうから毎月ちゃんと月命日に休みを取ってる…というのに、結局その休みに用事を入れてしまってどっちかというとそっちメインになってしまうという本末転倒。
先月は[onze]に行ってたし、今日も地元でお笑いライブ。そして来月はネイル。
相変わらずの親不孝です。
でも今日、友人と話していて、友人が…
「毎月行ってるんでしょ?…私がおかん亡くなっても、毎月は行かないかもしれない…」
と言っていて、
私が毎月月命日にお墓参りに行っていることを褒めてくれた。
職場でもお姉さまがたに「毎月エラいね☺️」って言ってもらえるし、、、
世の中の人たちって、月命日をそんなに大事にはしてないのかも…?と。
おそらく毎月お墓参りに行っているのは父の影響が大きいように思う。
父って何故か、カレンダーにめちゃくちゃ「命日」ばかり書き込んでいるんだよね、、、誕生日はろくに覚えてないくせに。
祖父母はもちろん、母方の祖父母(父からしたら義両親)、従兄弟、きょうだい、同級生、職場の元同僚やその配偶者やその親、私の幼馴染のお父さん、などなど。。。
いやもう父の年齢だと周りも亡くなる人多いし、命日ばっかりでカレンダー真っ黒になっちゃうんじゃねーの???
…ぐらいの勢いで書いてある。
そしてそれだけじゃなくて、ちゃんんんっとみんなの命日にお墓参りに行くんだよ。
お花を買ったりするわけじゃ無いけど、お線香はあげに行ってるようだ。
「幽霊なんていない」
「死んだら終わり」
とか言う父だけど、そんな風に弔う父の姿が私は好きだ。
私は確かに母の月命日だけは大切にしてるけど(その割には出かけてるんだが…😅)、祖父母の月命日にお墓参りに行くことは今はしていないし、なんなら、、、
父方の祖父と、母方の祖母の命日は
「あれ?どっちだっけ??」
ぐらいの感じなのである。。
祖父が亡くなった時は私は受験生だったし、祖父はしばらくずっと具合が悪い状態で家で寝ていたからお見舞いに行くタイミングとかもふわっとしてて死に目にも会えてなくて、、、
だから、
「3/12だっけ?13だっけ?」
って、ずーっと覚えられないの。最低。
そして祖母も病院で夜中に亡くなってるから、
「あれ?8/18だっけ?19だっけ?」
って、どっちだか分からなくなってしまう。
ただとにかく祖父の時は私の卒業式とかぶっていたり、祖母の時は私が資格を取る為の研修中で翌朝も早かった、、、とか、そういう記憶はめちゃくちゃハッキリしてるんだけどね。
祖父母は私にとって4人居るし、全員の命日に行くのもやっぱり大変だし、「誰かの命日には行って誰かは行かない…」みたいなのは嫌だから、みんなお彼岸にお墓参り、ということにしているのよ。
春も秋も行ってるからそれでヨシとして?笑
ちゃんとみんなの命日にお墓参りに行く父のことは尊敬している。
友人と話していて、母の月命日に毎月お墓参りに行く理由は何なんだろうなぁ…?と考えてみたとき、
「父が命日を大切にしているから」
「お墓が近いから」
というのもあるけど、なんか、母が亡くなったのが若すぎたから…というのもあるなぁ、って思って。
あと、「罪滅ぼし」とかね。
ちゃんと満足いくような介護をしてあげられなかったから。
私が独身でフラフラして孫を産めてないことや、娘として、、、長女としてとても中途半端な存在だということをとにかく母に謝りたいのだけれど、母がもういないから面と向かって謝罪できないし…だからせめてお墓参りだけでも…というか。
もう少し私が「おばちゃん〜おばあちゃん」ぐらいの年齢で、母も大往生で亡くなっていたとしたら、、、こんなに毎月はお墓に行ってないんじゃない?
と、友人に言った。
私は決して毎月お墓に行くことを「凄い」とは思っていない。もうウチにとっては「当たり前」のことだから。
毎月毎月お墓参りに行ったところで、母が帰ってきてくれるわけじゃないし謝ったって「いいよ☺️」と言ってもらえる訳じゃ無い。なんなら許してくれてないかもしれない。だって未だに独身なんだもん。今はもう私はそれでいいんだけど…母はずっと心配でたまらないんじゃないかと想像したりする。
そういったこと全て報われやしないのに、でも、、、いつか本当に母に会えたらいいな、と思ってお墓には行っている。
◯回目
って達成したら、お母さんに会わせてくれないかなぁ。。
甘いでしょうけどね。。
いつだって私は、「お母さんに会いたい」と思って生きている。
前にもブログに書いたが、ブンサテの川島さんも私の母と同じ2016年に亡くなっていて、命日は10/9だ。母が亡くなった丁度1ヶ月後。だから勝手に親近感がある。(須藤さん勝手にごめんなさい…!)
LINEのニュースを見ていたら、七回忌をキッカケに川島さんの納骨を済ませた…という記事があった。
須藤さんたちは、6年間お骨を傍に置いていたんだなぁ…と思ったら、それだけで泣けてきた。
ちなみに私の母は、一年忌の時に納骨した。
母が荼毘に付される時、「大好きな母の姿が消えてしまう…!!」と本当に悲しかったのだが、その後、お骨となってしまって気持ちが落ち着いた…と思っていたら、私は全然整理がついていなかったらしい。
お墓が完成して父がすぐ「納骨しよう」と言った時にどうしても悲しくて、泣きながら「1年待って」と言っていたのだ。
あの気持ちって何だったんだろうなぁ…
既にお骨になってしまってるのに、どうしてもそのお骨をまだお墓に入れたくなかったんだよ。今生の別れはもう済んでるのにだよ?お骨になってるということは、もう絶対に母の姿は帰ってこないのに…だよ??
でも何故か、まだお墓には行って欲しくなかったんだ。
だから、「決心がつかずに納骨まで6年」っていう須藤さんの気持ちがなんか凄く胸にグッときちゃって、また泣けた。
6年でも10年でも20年でも、そりゃ近くに置いて近くに感じていたいよ!そうに決まってる!!
とは言え今またお墓からお骨を取り出して傍に…!とは思わないけれど笑、あの時は本当に悲しかったんだよ。
どんだけ「別れ」させられなきゃならないの…?って。
愛する人との別れは本当にツラいです。
今、愛する人が元気なら、なるべくたくさん話して、なるべくたくさん愛情を注ぐべきです。
みんな。
後悔のないようにね。