10月23日は父の誕生日でした。
今年で後期高齢者になるはずだったんですが…その前に父は天国へいってしまいました。
仕事のあとシャトレーゼでケーキを買うつもりが、翌日葬儀の予定が入っていたので、「パールっぽいピアス探してこよ」と思い、内ジャスに行くことにした。
私はFLOでケーキ買い、あと花も購入。
↑の写真は、妹がシャトレーゼで買ったケーキ。
寿司も食ったりして、主役が居ないながら豪華めな誕生日になった。
で。
葬儀というのは、両親がお世話になった方のお葬式。
両親は職場恋愛なのだが、同じ会社だった女性。
母が会社を辞めたあとも何年経っても「◯◯会」または「◯◯女子会」として定期的に集まったり旅行に行ったりしていた。その「◯◯会」にいらっしゃった、母にとっては先輩だ。
父とは…同い年なのかな??
特にお世話になったのが、母が転職をした時のことだ。
私が小さい時から母は、近所の知り合いの方が経営するお弁当屋さんでパートをしていたのだが、長年働いたそのお弁当屋さんが閉店することになって。
でもまだ母は働けるし、無職になったら自由に使えるカネも無い…ってことで少し転職活動をしたのだ。なんにも分からない母だから、私は一緒にハロワまでついて行ったりもした。
求人広告などで応募した「銭湯の清掃」は、どうしても男性の裸を見るのが嫌で辞退したらしい。私に責められるのが嫌だから「落ちた」と言っていたが、のちに聞くとそういうことらしかった。
その後、ハロワで応募した「あさ川製菓」に受かったのだが、直後に震災があって入職が有耶無耶になってしまった。一応、働く気があった母はあさ川に問合せて、何とか入職したのだが、、、
その工場は、女性ばかり。
新しく入った母を腫れ物のように扱ったそうです。若い人は休憩時間にお菓子を配っていたようなのだが、「この人にもあげなよ〜」みたいな扱いをされたとか。
初めてやる流れ作業だというのに、うまくいかなくて器械を止めてしまうとベテランおばさんから「舐めて入ってきたのけ?」と嫌なことを言われたり。
とにかく最悪だったそう。
毎日嫌そうで、毎日愚痴をこぼしてました。
私は、母を守ってくれなかったあさ川を一生恨むつもりだし、今後あさ川の商品は買うつもりないです。
結局、父が「そんなところ辞めてしまえ」と言ったことですぐ退職。どうしよう…というところに、仕事を紹介してくれたのが、、、その、お世話になった先輩、というわけ。
もともとその先輩が働いていたマンションの清掃を、母が引き継いだのだ。(先輩はお歳なので辞めようとしていたらしい)
まぁ、細かく言えばそのマンションでも色々あったりしたのだが(おじさん管理人に義理チョコを渡しただけで、ソイツの妻から「色目を使っている」などと狂ったように母が責められることがあった。おじさん管理人に比べたら父の方が激烈カッコいいので、「んなわけあるかァ💢‼️」と私や父がその狂った嫁と喧嘩することがあった)、とは言え母が病気するまでは勤めた勤務先なので、あさ川のことで悩んでいた母にとっては良かったことだったんじゃないかな…と思ってる。
お世話になった先輩(Mさんとする)は救世主だ。
そもそも明るくて、面倒見が良いお方。
私が新卒で入社した会社の同期(Sちゃん)が居て、少し歳は上なんだけど同期だからちょこちょこ仲良くしてて。でも、そのSちゃんは県南支店配属だったから、研修期間が終わってからはそんなに会うこともなかった。けど話しやすい子だったし、短い期間の交流だったけど仲良くできていた。
で、そのSちゃんが、Mさんの息子と結婚してたようで。
私が会社を辞めた頃にはSちゃんにはなんにも言わなかったし、だからSちゃんが辞める時も送別会もなんも無くて。
その後結婚したようだけど、つき合いも途切れてたから結婚式も行ってないのよ。
Mさんちの嫁が、Sちゃんだったと知ったのは、だいーーーぶ経ってからのこと。
確か、母に教えてもらったような気がする。
それキッカケで、Sちゃんと電話で話したり、LINEで繋がるようになったりしてな。
そういうこともあったので、父が亡くなった時、一番最初に知らせたのはMさんだった。その方に知らせれば、「◯◯会」の人全員に知らせてくれると思ったからだ。
でも、あとからSちゃんに聞いたところによると、Mさんは「具合が悪かった」らしい。
だから、具合が悪いのに父が亡くなったことを知らせてしまって、ほんと申し訳ないことをしたと今でも後悔している。これで余計に落ち込ませて具合を悪くさせていたら…と思うと、罪悪感でいっぱいになる。
父の葬儀の時も、こないだの新盆も、Sちゃんが来てくれていた。Mさんはそれぐらい具合が悪かったようだ。
ちなみにMさんの息子(Sちゃんの夫)は、私が車検を出したりしている自動車工場のお兄さんと同級生で、こないだ車検の車を取りに行った時に会うことができた。
父が亡くなったことを自工のお兄さんが知ったのは、Mさんの息子経由だったらしい。(自工を元々立ち上げたお父さんとうちの父も同級生という繋がりがある)
そんなこんなでとても繋がりがあるので、今回のMさんのことは、Sちゃんが知らせてくれた。
電話をくれたようなのだが寝ていた所為で出られず🤦🏻♀️、LINEをくれていた。
お悔やみ欄に載せるのなら葬儀の日時も知れるかと思ったけど、仕事も休まなきゃだし…と思ってSちゃんに聞いたら「24日」とのことだった。ちょうど公休を取っていたので行くことができて良かった。
もし23日だったら絶対休めなかったので、香典は送ろうかと思い手紙もしたためていた。でもそれは使わずに済んだ。
私は多分、Mさんには1〜2回ぐらいしか会ったことは無いと思うけど、なんでかすっごい笑顔を向けてくれたような記憶があるんだよ。
そういうところが、嫁であるSちゃんにとっても好きなところなのかもなぁ…って思う。私も姑ならMさんみたいな人がいいな、って思うもん。
最期のお別れには絶対行きたかったし、何より両親に頂いたお心遣いは返していかないといけないので、葬儀に行けて良かったと思った。
ただ、家長となって初めてのオツトメだったので、すごく緊張はしたけどね…。
24日のその葬儀場での葬儀は1件だったみたいで、行ったらすぐ案内された。
市の斎場では無いから、自由に葬儀ができるみたいで、入口には写真がいくつか立てられていた。
中には「◯◯女子会」の写真もあって、そこには母も写っていた。
つか、ちゃんとその写真見たかったんだけど、それの前にずーーーっと陣取ってるおばさんが居たり、お式の最中にベラベラ・ベラベラ喋りが止まらないおばさん軍団が居たり、、、なんか、あぁはなりたくないなぁ…って思ってしまったな。。
私は受付を済ませてから一般席の後ろの端〜〜っこの方に座り、式が始まるのを待っていた。まだMさんは荼毘に付されたいなかったようで、「あぁ、最期にお顔を拝見したいな…」と思っていたのだけど、私の両親が見に行くならまだしも、私自身はMさんとは直接的な関わりは無いわけで、どこの馬の骨とも分からん奴がお式の前に「お顔を見せてください…!」と前のほうへ行くのは非常識かと思って、ぐっと我慢していた。
会場では、Mさんが好きだったという吉幾三さんの曲が流れていた。
目の前に置いてある花の数々を見て、あぁ、父の時にはこんなにたくさん置いてあげられなかったな…自分の人脈の無さよ…と哀しくなったりもしていた。(喪主をやった身として)
あと、Sちゃんはちゃんと喪服の着物を着ていたんだよね。私が喪主の時なんて間に合わせで買った礼服だよ…?やっぱ、こういう時ちゃんとできてないとダメだよな〜…と振り返って反省したり後悔したりしていた。
まぁ、今後もし喪主をまたやるとしたら妹が先に逝ってしまった場合くらいだし、その時はきっと家族葬になるだろうから…もういいんですけど。。
ただ、これから家長として葬儀に参列することはたくさんあるだろうから、こんな合わない礼服着るよりは、ちゃんと体に合わせた礼服をそのうち買おうかなぁ…とは思った。少し、ちゃんとしたいいヤツをね。。😂
式が始まると、某お寺の住職さんがお2人出てきて、親子なのかな…?男女だったんだけど、とっっってもイイ声でハモってた。あぁ、この人歌うまいだろうなぁ…と思った。笑
お焼香も終わって読経も終わると、住職さんのお言葉もあり。。
どうやら、Mさんはお寺の婦人会にも参加されていたようだ。
だから、住職さんの話すMさんとの想い出や、「体は無くなるけれども心で生きている」というお話などを聞いていたら、自然と涙が出てきた。
それと、喪主であるSちゃんの夫のご挨拶を聞いていたらまた涙が。。。
6月ぐらいから闘病生活をしていた、とのことで、一切誰にも会わなかったらしい。
それはとてもお辛かっただろうな…と想像しただけで泣けてきた。ご趣味も多い方だったようで、それも一切絶ったらしいので。。
お式が終わり、ご家族がお見送りしてくれるとのことだったのだが、棺への〝お花入れ〟を一般の参列客もしていい…ということだったので、これが最期の挨拶かな…と思って残ることにした。
ただ、まだ返礼品を受け取ってなかったので「これは…どのタイミングでいけばいいんだ…?😳」とか分からなくてちょいパニック!
私は先に火葬をしたバージョンしかあんまり分からないんだよ〜う😖
そして、きっと「◯◯女子会」の方々も居るだろうから、父の葬儀の時のお礼とご挨拶もせねば…💦と周りをキョロキョロ。
そのうちSちゃんが気づいてくれて「ありがとうね!」と言ってくれるんだけど、、、
「残ってもいいですか?」
とかよく分からない言葉ww
とにかくまぁ、お花入れが始まったので私も棺に向かいました。
以前、中学の時の恩師の葬儀に行って、最後にお顔を見たけれど、癌を患っていたからか全く顔に面影がなくて。
Mさんもそうだったんだよ。
全然、お顔が違った。
だから、闘病生活…ってハッキリとは言わなかったけれど、もしかしたら癌だったのかなぁ…って。
新盆の時にSちゃんに聞いた感じだと、肝臓とかそっちの方の話をしてたけど…もしかしたらちゃんとは言えなかったのかもしれないな。。
棺の周りでおばさま方が「Mちゃんはねぇ、赤が好きだったんだよ〜」とか言ってたので、私も赤とピンクのカーネーションを持って棺へ。
お花を入れながらお顔を見て、「お世話になりました」と合掌すると…涙が噴き出してきた。
きっと、
きっとね、
両親も上で待ってるし、Mさんのたくさんいるお仲間で先立たれた方々も、みんな、待っててくれてると思うの。あっちにいってもきっと楽しいと思う。
でもね、
遺されたほうはやっぱり悲しいんだよ。
なんで、みんないっちゃうんだよ、って。。
あんなに明るかった人が。
あんなに笑顔が素敵だった人が。
荼毘に付されちゃう。
お骨になっちゃうんだよ。
悲しいよ。
悲しい。
でも、
あなたが居てくださったから、母は救われたんです、って。そのおかげで私も救われました、って。
感謝しかないです。
本当にありがとうございました。
両親がMさんと出逢えて、本当に良かった。
それから。
意を決して、「◯◯女子会」の皆さんにも声をかけに行きました。
みんな私の顔は分からなかったけど、お話ししたら皆さんを呼んでくれて、私も知らない人のことを紹介してくれたりもした。
ここら辺は、おばさんネットワークに感謝です。笑
誰かは分からないけど車椅子で来てた方が発作を起こしたようで、救急車が来たりもして色々あったけど、なんとか、Mさんの棺を見送るまでできました。
そして私は皆さんにご挨拶して終わり。
それにしても…Sちゃんの息子くんたち、めっちゃデカかったな〜!
長男くんとは私同じ高校なんだが、なんんんで運動部じゃないんだよっ!ってくらいいい体してた。すごい長身!!😳
そんで弟くんは野球やってるらしい。学ランに坊主。もう最高だね👍
母校は違うけど応援したい!
それこそMさんの分も!
帰る前に、またモスバーガーをドライブスルーして、それから礼服のままコンビニ寄って帰った。
そしたら家に銀行から郵便きてて、、、
父の相続が、完了したようだ💦
うわ、これはやべぇと思って、今度は着替えてソッコー銀行に。(だって明日は世の給料日だから混んじゃうもの💦)
14:30過ぎだったけど何とか間に合って出金。
意外と金額があったので、色々と誓約書みたいなの書かされたりして大変💦
あと、出金は別な壁のあるカウンターに呼ばれたりな…。
私、まさかあの1番でかい紙袋にお金を入れることがあるとは思わなかったよ。。
怖くて怖くて、ソッコーで別銀行(生活費用)に行って、ATMで数回に分けて何とか入金。
これでなんだかヘトヘトになっちゃって、あと、Mさんとのお別れが思いのほかしょんぼりしてしまって、なんかしばらくボーーーっとしていた。
19時過ぎて妹が帰ってきて「まだご飯食べてないの⁉️」って言われるくらい、なーーーんにもする気力が無かった。
妹が一応察して、ぼちぼち動いてくれたので助かったわ。。
あんまいいもんじゃないよな、やっぱ、葬式って。。
別れたくないよ。みんな。
ただ言えることは、みんなは上で待っててくれてるはず。
それのために今頑張って生きてるんだから、、、ちゃんと、私に〝その時〟が来たら、みんなに会わせてよね!
〝一旦〟バイバイだからね。