※特にぼやいてはいないんだけど、ノムさんの〝ぼやき〟と掛けてカテゴリに「ぼや記」も入れることとします。
今日は祝日だけど仕事。
割と色々仕事があった中、ふと気分転換にネット見たら、、、
ノムさんの訃報。
私は。
不謹慎なことを承知で言うけど
「良かったね」
が、最初の気持ち。
サッチーこと沙知代さんを先に亡くして、淋しそうだったから。
いくら淋しくても、自分で死ぬわけにはいかないじゃん。
だから、沙知代さんを亡くしてから、そんなに長く独りで過ごさずに済んで
ご自分の寿命も全うできて「良かったね」と。
やっと、サッチーのところにいけるね。
「良かったね」と。
私は独身だし夫婦のことなんてよく解ってないけれど、個人的には夫婦なんて夫が先に逝くべきだと思ってるの。それは、うちの父を見ていてもそう。時々、母のことを語る時のあの淋しそうな感じ…。見ていられない時もある。
「たら・れば」だけど、もしこれが逆だったとしたら、母は、淋しさを抱えつつも人生楽しくやってたんじゃなかろうか、と思うんだよね。
女性って結構、そういうとこある。
男性は、何かを失うと途端にバランス崩れがち…だな、と思う。
思い込みかもしれないけどね。
私は
自分の親は失いたくなかったけど、、、
結果としては、母がこれだけ早く逝ってしまったので、父がその際にテキパキと色々済ませてくれたのは助かったと思ってるし、逆だったらもっとパニックだったかもしれない、とも思う。
でも、感情的にはきっと、父が先の方が良かったのかもしれないよなぁ…と思うこともある。父が自分でもずっとそう言ってたし(年齢も父の方が上だし)、父も母も、母が病気になるまではそう思っていたんじゃないかな。
母を失った今となっては、
私はいつまでも父にいて欲しいけど、、、
でもいつか父が、、、
の時は、
「良かったね、お母さんのとこ行けるね」
って思っちゃうような気がするな。
だけど、きっとアッチにいっても父は母を好き過ぎて逆に悪態つくだろうから、、、
やっぱりまだまだ父はコッチに居てください笑
母を、アッチで伸び伸びさせてあげてください😁
私は、最愛の母を失ってることもあり
職場でも、死に触れることが割とあるため
誰かの「死」について
そこまでの感情は、
働かなくなってきてるかも、しれない。
「慣れ」とはまた違うと思うのだけど
案外スッと受け入れられてしまう、、、
と、いうか。
人は、誰もいつか必ず死ぬから。
それが、高齢であればなお。
「そうだよね」
と、思ってしまう。
けれども、
『LIFE!』の前に観てた『ニュースウォッチ9』での〝野村再生工場〟のくだりや、「人の可能性」の話(固定観念は悪。先入観は罪…という名言)では泣いてしまったなぁ。
それに救われた人が、どれだけいたのかな。
私は野球好きだけどにわかファンなので、
ノムさんのことを多分、1/10も知らないから、
私みたいなもんが語れないわ…
と思って、ツイートなど特にしてなかったのだけど
『ニュースウォッチ9』観た時は思わず呟いてしまったなぁ。。
球界のレジェンド級の方々からの追悼メッセージを見ていて、やはり、偉大な人だったんだなぁと改めて思った。
ONの影に隠れてても
凄い選手だったのだな。と。
私はここ数年でだいぶキャッチャーやショートに注目するようになり…
ここありき、だと思うこともある。
ピッチャーは光を浴びがちだけど
キャッチャーは頭脳。
全体を見ているキャッチャーしだいで
試合が大きく動くことも、、、
なんて、
知ったか
かな。。
でもなんか…
バンドも、リズム隊ありきなとこあるな、って。
ヴォーカルやギターが目立ちがちだけど、
リズム隊がちゃんとしてなきゃ、
バンド演奏は巧くいかない。
私にとってキャッチャーはドラムのイメージ。
これも、、、
知ったか
か??
(というか話ズレすぎ?💧)
なんていうか
縁の下の力持ち
の、パワーが強大なこともある、と。
そういう人がいるから、動くところがある。
影があるから光もある。
目立ってるところばかりが正義じゃない。
色んなとこで
貢献してきた方なんだなぁ
って。
固定観念を取っ払って
その選手の可能性にかけて
能力を伸ばして、、、
ぼやいてるイメージが強いけど
野村克也という人は
凄い選手であり、凄い監督だったんだなぁ
って、今更ながら思う。
私みたいなもんが
やっぱり語っちゃいけないけど、、、
球界には
なくてはならない人でしたね。
ご冥福をお祈りします。