『自由くん』と『孤独ちゃん』

自由と孤独は表裏一体

感化されがち

今日からシソンヌライブ[dix]のチケ先行が始まった。

とにかく、行きたいところは全部申込んでやる‼️

…バットは振らなきゃ当たらねぇ‼️

 

 

でもほんと、、、

神様仏様御母様…

 

単独行かせてくださぃぃぃ😭🙏💦

とにかくどこか当たってぇぇ😭😭😭

 

 

抽選だからどうしようも無いんだけど、今日はそのことばっかり考えててなーんにも集中できなかったし、なんかドキドキが凄くて一日中あんまりお腹も空かなかった。

 

 

推しダイエット⁉️

 

 

…って、痩せないんですけれどもね😅

 

 

 

 

 

 

 

家に帰ったら東奥日報が届いていた。

 

一面を見ると、じろうさんが話していた『いとみち』が小さく載っていて(茨城では守谷でしかやらないからユーロスペースに観に行きたい😣)「おっ😯」と思ったのも束の間、、、横にデカデカと「青森ねぶた開催断念」の文字。。

 

ねぶたはナマで観たことないし(展示品とかでなら見たことあるけど)私にとってはなんのゆかりも無いものの…

 

なんだか切なくなってしまった😞

 

 

まじでCOVID-19、しね!!!!!🤬🖕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで

 

 

 

じろうさんのコラムは今回で10回目らしい。

 

最初は新聞ごと取っておこうと思っていたけれど、以前ブログに書いたように、ひと通り読んだらじろうさんの記事だけスクラップブックに貼っている。

……というのも、新聞だけまとめて置いといても、多分見ないから。

スクラップブックにちゃんとコレクションしていれば、時々開いて見ることもあるよね。と。

実際、毎月スクラップブックに貼る時は前のコラムを振り返って読んだりしているし、こうしてみて正解だと思っている。

 

ちなみにウチは茨城新聞なのだが、この前、フリマアプリで売れたやつを梱包していた時、東奥日報茨城新聞とを合わせて緩衝材にしてやった。

シソンヌグッズを売ったわけでも無いし購入者がどんな人か知らんけど、茨城と青森のコラボをくらえ………っ‼️

(ただの自己満)

 

 

 

 

じろうさんのコラムを読むと、いつもそれに感化されてコラムちっくなことを書きたくなる。

(ただの自己満・再)

 

 

 

 

今回の東奥日報をテーブルに広げて読んでいると、ふと、父のことが浮かんできた。

あ、存命ですけどもね。笑

 

父は昔からずっと新聞を読んでいる。

私が子どもの頃から、「朝は父が新聞を読んでいる」というのは当たり前の光景だった。

 

父は何故かやたら早起きなので、新聞屋の条件は「3時頃配達できる店」に限る。

 

昔〝読◯新聞〟を購読していた時、届くのが本当に遅くて7:30とかざらだった。

 

父はいい加減キレて、

「もう来なくていい‼️」

と配達の兄ちゃんに言い放った。

 

普通こうなると、店のオエライさん(?)と改めて謝りにきて「ちゃんと早く届けますので購読を続けてください」とか言うもんなんじゃないのかな〜?と思うんだけど、、、

 

それから、新聞は本当に届かなくなった。笑

 

いや根性無しかよ‼️

…と子どもながらに思った。

 

 

その後、どの面下げて来れるのか、また勧誘に来たことがあった。

 

「バカなのかな?」と思った。

 

「来なくていい!」って怒られて、来なくなったのお宅ですよ?

で、また勧誘…って。

どういう狂気なんだろう😅

 

 

 

〝読◯新聞〟が届かなくなってから、近所の祖母が購読していた新聞屋の紹介で、茨城新聞を取ることになった。

 

でも、〝読◯新聞〟は茨城新聞に比べてページ数も多かったし、何より『コボちゃん』が載っていたので、〝読◯新聞〟を取らなくなってしまったことは個人的には非常に悲しかった。

 

とは言え新聞を読むのは父なので、そんなこととても言えなかったけど。

 

 

父は2:00〜3:00の頃起きてきて、テレビは点けずに朝イチのタバコをふかしながら新聞を読む。

 

父がテーブルに広げる新聞のインクの匂いと、タバコの煙が混ざった匂いというのは、、、なんとなく心地良い。

私は嫌煙家なのだが、その混ざった匂いには父を感じ、嫌いになれないのだ。

これは今でも時々感じるのだが、「朝が来た…」という感じがする。

 

 

子どもの頃、父はよくスキーに連れて行ってくれていた。

父のスキーは本当にカッコ良かった。

 

2時頃起きて、3時〜4時くらいに出発し、栃木や福島、新潟などのスキー場に連れて行ってくれる。

父と2人で何度も出かけた。

 

その時も、絶対にこの匂いがしていた。

 

そしてここに、母の握ってくれたオニギリの匂いも混ざる。

 

もう最高だった。

冬の匂いも相まって。

 

 

あのワクワク感。

 

好きな匂いに送り出されると、、、眠くてウトウトする中、車の中の暖房が心地良く、陽が昇ってきて世界が明るくなっていくあの感じにまた高揚感、、そこに、私が好きだった曲を父の車のオーディオでかけてもらっていた。ミスチルとかだったかなぁ。スキーといえば広瀬香美さんも聴きながら行ったっけ。

 

そんなことを、思い出す。

 

 

あとは、早起きといえば…初日の出を見に行ったりね。

 

 

 

朝のあの匂いは、これから起こるワクワクを連想させてとてもいい。

 

 

私は殆ど新聞なんて読まないけれど、今でも時々父が、気になった記事をピックアップして見せてくれたりする。

 

 

そういえば父が茨城新聞を購読するようになって少し経った時、「新聞で勉強しろ」と言われた。

 

昔から父は「お父さんが言うことに間違いは無いんだ」と言う人だった。ほんと、THE 昭和の親父。

亭主関白で男尊女卑で、今の時代には全然合っていない。めちゃくちゃ怖い頑固親父だった。

かなり怒られたし怖かったが、、、でも、本当に父が言うことは間違っていなくて、尊敬もしている。

器用に何でもこなすし、人にズバッと言う。

そういうところがカッコ良いと思うし、普通に顔もイケメンだ。

 

「なんでそんなこと言うんだろ…🙁」と思って嫌いな瞬間もあったが、子どもの頃は怖くて逆らえなかった。

(今は立場も逆転してきているけど)

 

 

で、「新聞で勉強しろ」の話。

 

当時茨城新聞には学生向けのページがあって、〝文化系〟の記事が上半分と、下半分には勉強用の課題が載っていた。国・社・数・理・英…日によって問題は変わり、20時か20時半からラジオでその問題を作成した先生が解説をしてくれるのだ。

 

だから私はそのラジオが始まる前に問題を解き、あとは解説を聴いて学習する。

 

そして、その流れで深夜ラジオを聴きながら勉強していた。

 

 

進学校とかを目指してたわけでもないので、私の受験勉強といえばその新聞のやつと、アットホームな塾だけだった。でもそれは、私にとても合っていた。

中2の時に通っていた塾も、別な中学の男子と交流したりして(笑)それはそれで楽しかったのだけど…受験生になると月謝がグッと上がるとかで、我が家の生活を逼迫することになったのだ。

 

その時に父が「新聞で勉強しろ」と。

「とにかくこれをやっとけば間違いないんだ」と。

 

そしてそれは正解だったと思う。

 

 

何でもかんでも手を出し過ぎるより、ピンポイントで「今日はここだけ」ってやった方が集中できたし自分を追い詰めなくて良かった。

だから結果としてやり易かったし、やっぱり父が言っていたことに間違いは無かったんだ、と思った。

 

時々本当に放送禁止的なセリフぶちかましてくるし荒々しいし心配なところは多いけど😅…でも、カッコ良くて大好きな父。

娘に甘い父。

2〜3日家を空けると「寂しい」と言う父。

 

 

 

大好きな匂いをまだまだ感じていたいから、いつまでも元気で長生きして欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

あはっ、

 

またポエマーな俺だしちゃった😝