家に帰ったら東奥日報が届いていた。
東奥日報さん、いつもありがとうございます。
じろうさんのコラムの横が「中みそ」の記事で、いやーファン心くすぐるねぇ〜…っておもた。笑
掲載された先週、じろうさんがツイートで「ECCのことを書いた」と仰ってたからなんとなく知ってはいたけど、改めて読んでやっぱりじろうさんの文章好きだなぁ、、、って思って、感化されてまたこうしてブログを書いています。笑
じろうさんがよく、「英語を使う職業に就きたかった」と仰ることが多いけど、それについて自分もそうだったから惹かれた部分があります。
おこがましいけど、なんか結構「それ、私もだなぁ…」と思うことが多くて、それでどっぷり沼にハマってるのもあるんです。
〝英語〟は、そんな中のひとつ。
私も中学〜高校くらいに「英語を使う職業に就きたい」と漠然と思っていたので、同じ頃そんな風に思ってたかと思うともう嬉しくないわけがないわねw
私は普通に中学から授業で英語を始めたわけだけど、中学の時の担任の先生がちょうど英語の先生で、その先生がまた面白かったんだよね〜。
〝コバティー〟ってあだ名で呼んでた。(ティーはティーチャーの意)
よく授業中にギターかき鳴らして英語の歌を歌って、みんなにも歌わすんだけどそれが結構楽しくて。
そんなこともあり、洋楽の歌詞を書き出してそれを覚えて歌う練習したりとか、とにかく「英語が楽しい」と思わせてくれたのはコバティーのおかげ。
楽しいと勉強もはかどるもんで、とにかく英語だけは成績が良かったんだよね、当時。いい点数を取れればそれもまた「楽しい」に繋がる。
それである日、母から
「あんた、英語が得意なんだから英語が使えるような仕事に就けたらいいね」
と言われたの。
例えば空港の案内係とか、そういう、、、漠然とした夢ではあるけど、そんな感じ?
母から言われた些細な言葉だったけど、「あぁ、それいいなぁ…やりたいなぁ…」と思った。そしていっとき私の「夢」となった。
今は全く海外に行きたいとも思わないんだけど、あの頃は海外とかもすげぇ行きたかったっけなぁ。
留学とかも経験してみたかった。。
だけど父からはずっと「うちにはカネは無ぇ」って、某県立高校しか行かせてもらえないような発言をされて圧力かけられてて。
中学の頃、、、確か中2くらいに塾に行き出したんだよな。受験対策で。その時の塾はどちらかというと同じ学校のみんなや他校の生徒(イケメン男子)との交流が楽しくて、それメインになっちゃってた気がするw
中3になると、その塾の月謝が途端に上がることになったの。受験生になるからって。
カネの無い家にとっては、それが大打撃。
だから仕方なくその塾は辞めて、別な友達と他の塾に通い出した。林の中にポツンとある普通の家で、一見、塾っぽくない。おばさまが趣味で塾を開いてるような、そんな感じ。だから月謝は安かった。
いつも母に塾まで送ってもらってたけど、近くの道までは憶えてるのに、その塾までの道は全然いま憶えてないんだよ。
私、本当に通ってたのかなぁ…(急に恐怖話?笑)
でもそこに通ってる塾仲間の他校の生徒さんがね、ものすっっっごく英語の発音が良くて。
教科書とか順番に読んでると、自分の発音が恥ずかしくなるくらいその子は上手だった。
だからおんなじようになりたくて、一生懸命に発音良く読んでたっけなぁ。。
全然追いつけなかったけど…。
羨ましかったなぁ。憧れた。
あんな感じの塾で大丈夫かなぁと思いつつも、いきなりレベル高すぎる塾に入るのは自分でも怖かったし、おばさん先生にはそれはそれで質問し易かったりとメリットもあったから、中3の時ずっと通って、、、
そして、受験。
父が「行け」と言う県立高校を第一志望には掲げつつ…
母が一応、英語がもっと学べるような私立高校も視野に入れてくれてたから、その学校の試験も受けさしてもらったんだけど、、、
もしも、私立が「特待生」で受かっていたら、授業料とかそれなりに免除だったから行けてたかもしんない、と思う。でも私、その高校の試験「国・数・英」の三教科で、数学はもうほぼほぼ解けてない自信があったからさぁ…🤦♀️
やっぱ数学の苦手さは全然克服できてなかったわ〜🌀
合格発表の日、中学の先生に呼ばれて〝特待〟じゃなくて〝推薦〟で合格したと聞いた時、もうめちゃくちゃ複雑だった〜💧
だって、受かってるけど免除じゃないからね。。
とにかく父には「私立なんか入れるカネは無ぇ!」と厳しく言われて、父も祖父も行った高校に行くよう、前々からずーーーっと言われてたの。それこそ、小学生くらいの頃から。もはや洗脳w
(落ちたら定時制高校に行くように言われていた)
一方、行きたかったその私立は、私の家からめっちゃ遠いから電車通学になるし、授業料と定期券のことを考えたらすごく厳しいと言われた。
あぁ…〝特待〟で行ける脳があったなら、、、って思った。自分のバカさ加減が嫌になった。
もしも、第一志望の県立高校に落ちたとして、なんとか定時制高校からは逃れるとしても結局は市内の滑り止め高校(母の母校)に行くしかない…というような状況だったんだよね。英語に特化してるわけでもない私立に仕方なく行くくらいなら、頑張って県立受かりたい…!!
と思って、結果、県立高校に受かったのですけど。
(その県立高校にも英語に特化した科はあったのだが、どうしても県立に受かりたかったのでその科を受験する勇気は無かった。私が入った科より偏差値高かったし、倍率的にも狭き門だったので…)
祖父は私が中学を卒業する時に亡くなってしまったので、結局私が祖父も通った高校に行けることになったのは伝えられずじまいだったけれど、父も含め叔父たち(父の兄弟たち)もみんなその高校出身なのでみんな喜んでくれたし、なんだかんだで私のイトコたちの中でその高校に行ったのは私だけだったから、結果としては「親戚孝行」?であり「親孝行」にもなったんだとは思う。
実際、高校受かってから父が急に通学用のバッグだのノートだの色々買ってくれだして、、、サンタ役以外でそんなに父が何かを私に買ってくれることって無かったからさぁ笑、これはよっぽど嬉しかったんだろうなぁ…って、自分でもちょっと偉業を成し遂げられたような…誇らしかった記憶がある。
私が在学中に父はPTA会長になって(当時、私は絶対に嫌だと泣いたのだけど…)、私の卒業式にはPTA代表として舞台で挨拶までしたり…そんな経緯もあり、私が卒業してからは大好きな自分の母校の「来賓」になれたもんだから、私が居なくても毎年入学式や卒業式にもお呼ばれしてるし高校野球の入場券とかも送られてきたりする。(野球のチケに関しては私にとってもラッキー。)
在学中に、それまで久しく行けてなかった甲子園大会出場も果たせたから甲子園にだって行けたし、サッカーの全国大会にだって行けた。
…これは凄く親孝行できたと思ってる。
それはそれで良かった、と。
今でも親友の子たちと高校で出逢えたんだし、その高校に行ったことは間違いだとは思ってない。
ただでも、全然学びたいことを学べる高校ではなかったんだよね。。
高3になって、今後の進路をどうする?…ってなった時に、私の時代は就職氷河期だったから、高卒で就職した方が高校が推し易い、、、ってめちゃくちゃ勧められたような気がする。
それこそ進路指導の先生(こないだお亡くなりになったそうです…お悔やみ申し上げます…)に、「このまま専門学校や大学に行っても、自分で就職活動必死にしなきゃならないし就職できるかも分からんが、ここなら先輩方がたくさんこれまでも就職してる実績があるからその企業さんからまたとってもらえるという確率が高いんだ!」とかめっちゃ言われたもんな〜。これもまた洗脳に近いよね。。。笑
本当はさ、行きたかった私立高校の系列の短大に行って、ここで今度こそ英語を学べたら、、、と思ったしそれは母にも勧められてた。
でも、じゃあ、お金は…?
その頃、父の会社がちょっと微妙で、父が勤めてたところのビルは無くなってしまい、急に宇都宮まで通うことになったりしていてもうバタバタでさ。。
私が車の免許を取る時のお金だって、やっとの思いで頂いたという感じ。(いやこれは自分でバイトとかで稼ぐべきでしたね…😅)
もし、このまま父が無職になったらヤバくない?
私、これは働いた方がよくない…?
って気持ちになっちゃって、
結局、
高校から企業に推薦してもらう道を選んでしまった。
しかも、テキトーに選んだ会社へ。
だから私の「英語を使う職業に就きたい」はここでついえたんだ。
英語とはまっっったく関係ない会社に入ったし。
実際、高校で英語を学んでた時にはもうあんまり楽しさも無くなってしまっていて、英検とかもスムーズに受からないし、結構ヤケになってたかも。
だけど未だに英語に憧れはある。
急に習いたくなったりね。
海外に行きたいわけでもないのに。笑
あともうひとつ、人から薦められてなりたい職業があった。
最近友人から、「君はもっとできるのでは」と言われた。
私は色んなことから「どうせできない」と逃げてしまっているだけなのかもしれない。
夢は夢のままで終わってしまうのかな…
それとも
例えば
英語を習うとか
趣味でもいいから「なりたかった職業」に近いことをやってみるとか
なんでもチャレンジしてみたら、未来はもっと広がるのかなぁ。
なんか自分の年齢を言い訳にして、「私がまだ◯歳だったら…」とか思うこともあるけど、でも、何かを成し遂げることはできなくても、やるだけならできることはあるかもしれない。
Mr.Childrenの『跳べ』という曲が好きなのだが、その歌詞の中に
「思い立った瞬間 そこは出発点」とある。
きっとキッカケなんてなんでもいいしやりたい気があればいつだってどこだって始められることがある。
要は、一歩踏み出すか踏み出さないか。
感化されてブログを書いて
それで終わりなのか?
終わらないのか??
未来は無限大だ。