『自由くん』と『孤独ちゃん』

自由と孤独は表裏一体

あれから4年

母の命日。

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母が亡くなってから4年が経った。

あの頃、世の中がこんな風になってるなんて想像もしなかったよな。

まだ母が生きていたら、どんな風にデイサービスやショートステイに送り出していたんだろうか。

まぁもっとも、病気に罹っていない母でいて欲しかったけど。

 

母は、令和になったこともCOVID-19が流行していることも知らないんだ。

(天国から見てたら知ってるか。)

 

 

 

 

朝起きたら父はもういなくて。

6時台だったけど、お墓に花を持っていってそのまま仕事に行ったようだ。

 

私は昨日のうちに母の祭壇には花を飾り、経机の周りは少し綺麗にした。

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母が作ったパッチワークは家の色んなところに飾られている。いつもの風景だけど改めて見るとやっぱ素敵だな。

私は母のようにこんなの作成できない。

ほんと、凄い人だ。

 

 

 

家に帰ってきても母がいないこと。

母と話せないこと。

 

それがもう日常となってしまったけれど、

いつだって母に会いたいし、話したい。

何でもいいから。話したい。

なんでもう母はいないんだろう、と、毎日思ってる。

 

親孝行したい時に親はなし

 

というけれど

本当にそうだと思うよ。

 

今、こうしてあげたかった、あぁしてあげたかったと思っても、もうできないんだから。

 

「お母さんがうるさくてー」

とか言ってる子どもら全員に言いたい。

 

 

お母さんが

いるだけいいよ、って。

 

ガミガミ言ってくれるのも愛情だからね。

そんな風に言ってくれるだけいいと思うよ。

私にはもう、ガミガミも言ってもらえる人がいない。

 

 

 

朝起きた勢いで、風呂に入ってお墓に行った。

 

母が亡くなったのは8時台だ。

その時間に合わせて行った。

 

お線香をあげて、花筒に栄養剤を入れて。

お水をあげて、物置石に腰かけた。

 

4年前のこのくらいの時間のことを思い出していた。

 

 

 

 

まだ寝ていた時間に、施設から電話があって、

もう、一度呼吸が止まってしまった、と聞いた父から私へ電話。

 

「もう、だめみたいだ」

あの言葉は耳から離れることがない。

 

 

 

慌てて病院に行くと母はその時なんとか蘇生されていた。

妹があげたパジャマを着ていた。

人工呼吸器を医師から抑えられてる母が痛々しくて、もうこれ以上は何もして欲しくないと思った。

母は、細く・小さかった。

 

その後なんとか心臓は動いて呼吸もしたけどもう意識は無く、自発呼吸はそのうち止まるだろう、、、その間、耳は聞こえているから話しかけてあげてください…と言われた。

 

 

「ありがとう」「ごめんね」「お疲れさま」

 

と言った。

 

 

 

泣いたけど、

その時は状況が必死で思ったより〝号泣〟では無かったように記憶している。

それよりも荼毘にふされる時の方が泣いた。

姿が無くなってしまうことの方が悲しかった。

姿がまだあれば、ふと起きてくれるような気がしていたから。

 

母がショートステイに行く前に

「気をつけて行ってね」と声をかけ

「うん」と母が答えた、

それが、最期の会話だ。

 

前の晩に私が吸飲みで飲ませた水が、もしかしたら誤嚥の原因で、その所為だったんじゃないかと今でも悔いている。(直接の死因は誤嚥では無いが)

そんなこと悩んだって、だいぶ病気は進んでいたから遅かれ早かれ亡くなっていたのかもしれないけど、私の所為で死期を早めてしまったのではないかと今でも思う。

それを早く母に謝りたい。

そのために今生きているような感じ。

母が私にくれた生を全うするために、今、生きている、

 

でもやっぱり、、、

私の寿命があとどれくらいか分からないけど、私の寿命を15年くらいあげてもいいから、母にあと15年生きて欲しかった。(それでも早いと思うけどね)

なんで寿命を分け与えることってできないんだろうなぁ。

 

母が居ない残りの人生を、あとどれくらい私は生きなきゃならないんだろ、、愛する人も守るべき人も居ないし、もういいんだけどな。父を見送ったらその翌日でいいくらいの勢い。

 

それだけやっぱり、心の穴が大きい。

 

 

 

しばらくお墓で母と語らって、家に帰った。

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いつか私が、もしも嫁に行くことがあっても、

私はこのお墓に入りたい。

(結婚するとしても婿をとるつもりだが)

 

お母さんとの想い出は、永遠だ。

 

 

 

 

 

 

そういえば昨日、注文していた東奥日報が届いていて、じろうさんのコラムを読むことができた。

初めは読むのを諦めていたけど、送料や振込手数料込みでも400円程度で読めるなら安いものだと思う。

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うちは茨城新聞。(どうでもいい)

 

 

じろうさんが受診時にお母さんと過ごしたこと、病院で中華そばを一緒に食べたこと。

これ正直、泣かないで読めなかった。

きもくてごめんなさい。

じろうさんはそんなつもりで書いてないのにね。笑

 

でも私だって、母と病院のパン屋にいつも寄ってたこと思い出しちゃったよ。

受診後は家に帰って一緒にパンを食べたんだ。

もしくは、よく一緒に回転寿司行ったな。

車椅子のままカウンターに座れるから、ちょうどいいんだよね。

 

介護の日々は母と過ごすことが多かったから、コラムを読んで、そんなことを思い出していた。

それが命日の前日に読めたことを感謝します。

 

『甘いお酒でうがい』の公開も今月だしね。

 

嬉しい。

 

 

 

 

お昼はやっぱり、プロカフェに食べに行った。

自動ドアが開くと、マスターが両手を上げて笑顔で立っていて「待ってたの☺️」って。笑

ハイタッチしそうな勢いだったけどそれはこういう時期だからやめて、私は両手を出してマスターにアルコール消毒をしてもらった。

 

あの和んだ時間を味わえただけでも、プロカフェに行って良かったと思う。

 

3回くらい席移動させてもらって、ソファー席でゆっくり。

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ペペロンチーノは初。

トマトたっぷり。

美味しかった。

デザートも冷え冷え。

 

1時間ぐらい滞在してから駅ビルを少し巡って帰った。

途中、自工から電話があって、車検が終わったと言う。

 

だから帰りに寄ったら、

色んな部品を交換したとかで、、、

 

 

10万払っておいたのに、

プラス39000円ですってーーーーー😱

 

 

手持ちがないので明日払ってきます。。

銀行行かなくても、かき集めて何とか家にあって良かったよ。。

 

いやこれから[neuf]に行きまくりたい資金だったのに、とんでもない出費😭

 

 

…でもま、職場で特別給付金出るからまぁいいか。

少しは足しになります。。

 

 

 

 

チケ、取りたいな。

 

こうやって悲しいことをなるべく考えないようにしてこれからも生きてくんだよ。

左胸の奥の方には、ずっと母はいるけどね🤱🏻

 

 

生きるって、大変だ。

 

 

でも今夢中になれるものがあって良かった。

 

 

 

明日からも

 

歩いてく。