職場の同僚の夫が亡くなった。
同僚…とは言っても私の父と同じぐらいの年齢である。私が入職した時から既にいたし、先輩なのだけれど、、、今はもうめちゃくちゃタメグチだし、なんなら喧嘩もする。(以前ブログにも書いた喧嘩の相手がこの人。)
プライドが物凄いので全然折れないし、自分の経験から決めつけてかかることも多くて、ボスも手を焼くことが多いしなんなら客からクレームが来たり、客を泣かせてしまったり…「別な人呼んでください」と言われてこっちが謝らなくちゃならないこともある。
要は、〝変わっている〟と思う。
私に言われたくないでしょうけど。
でも、決してこれまでの経験を否定するつもりもないし、頼り甲斐もある。何かお願いをした時に嫌な態度をとられることも無いし(つって、お願いしたのにやってなかった…ってことも多々あったけど💧)、ムカつくけどどっか憎めない…そんな感じの人。
「夫さん」と書くのは何だか変なので以下「旦那さん」と書くけれど本当は「夫」と「妻」だからあんまりそう書きたくないよね😅
でもやむなし!
…旦那さんが具合が悪いというのは、少し前からなんとなくは聞いていた。「お父さん(夫)が調子悪いから休みます」と急遽休むことなんかもあったので、もう、だいぶ悪いんだなぁ…とは思っていた。とは言え、どんな病気かとか聞いてないし、老衰なのかもしれないし、私の想像でしか無かったのだけど。
私は母を亡くしてから、人間というのは呆気なく死ぬもの、、、とどこか諦めのような境地にいるし、ある程度の年齢いったかたが、急にV字回復して「元気100倍!アンパンマン!!!✊」…みたいなことになるようなことはない…と思っているので、きっと、もう、命の灯はあと少しなんだろうなぁ…って思っていた。もちろん、そんなこと絶対に言わない(言えない)けれどもね。
その同僚も私と同じ非常勤だし、そんなに旦那さんの具合が悪いのだったら、「しばらく休みたい」と申し出て休んでいれば良かったんじゃないかとも思うんだけど、今日はその同僚は普通に出勤していて、朝礼でもにこやかに話していた。
ところがその30分後ぐらいに内線が鳴り、出ると、、、
…もう、ワーワー言っていてよく聞き取れない。
「なに?…なに?😅」
と聞き直してようやく聞こえてきた言葉
「お父さんが死にました!!!」
うわっ!
…って一瞬思ったけど、
自分も母を亡くしているからかどっか冷静な部分もあったし、身近に「死」を感じることも増えたし、私がここに所属してから同僚も何人か亡くなっていたり、最近でも同僚のお母さんが亡くなったばかりで、、、
なんか
私はもう〝慣れ〟てきてしまったようだ…
悲しいかな…
ぶっちゃけ、取り乱したその同僚が何を言ってるか殆ど分からなかったけれど、とにかく旦那さんが亡くなったというのだから帰るのだろうな、、、っていうか、「もう危ない」じゃなくて「亡くなった」…って色々飛び越えちゃってないかい?そんな危険な状態ならなんで今日そもそも仕事来てんの…?
とか考えてるうちに、
同僚は、完全に取り乱した状態で事務所に駆け込んできた。
「た、た、タクシーよ、よ、呼びます!」
…と言ってるのが耳に入ったので、私もそれぐらいなら出来るな、と思ってタクシーを呼んでおいた。
慌てて荷物を持ってロッカーから飛び出してきたので、「タクシーすぐ来ると思うよ。気をつけて帰ってね」…と声をかけたのだけど、
「うわーーーん」
…と言うだけで、
私に何も言わず帰っていった。
…いや、タクシー呼んであげたんだけどなぁ。。
まぁもちろん分かるよ、取り乱す気持ちはさ。
結婚何年か知らんけど、ずっと一緒に居た人なんでしょうから。
でも
私が母を亡くした時には、あんなに取り乱すことは無かったので、そこまで取り乱すことができる…って、どっか羨ましく感じた。
母は確かにだんだんと病気が進んでいて、「もう長くないのかも」とは思っていた。でも、やっぱり施設から電話があったのは突然のことだったし、びっくりしたし、どうなるの…?!ってなったし、、、
ある程度の覚悟はあったものの、
だけど突然のことで、
なのに、
なんか、
冷静な自分も居たんだ。
あんんんなに、今日の同僚みたいに、呼吸も激しくなっちゃって、ふらふらで、何しゃべってるか分からなくなるような…
そんなふうには、ならなかった。
あの姿を見て、
普通はこうなるんだな…
たとえ職場の人に「来た方が早いよ」って言われたからって、
亡くなった日に仕事に行くとか、
あり得ないことしてたよな、、、
って、改めて思った。
自分は落ち着き過ぎだ。
なんでだったんだろう。
悲しくて悲しくて仕方ないのに。
それが表に出せなかった。
母の病気の進行と向き合っているうちに、だんだんと、死を受け入れる態勢になってしまっていたんだろうか。。
だとしたらなんか嫌だなぁ…
もっと前に、母が(元気な時に)県北の法事に叔父さん叔母さんと行った時、もしも交通事故なんか起こして母が突然死んでしまったら、私は叔父さん叔母さんを一生恨むからな!!!…って、ただの妄想なのに取り乱したことがあった。死んでなんてないのに、無事に帰ってくるまで不安で不安でわんわん泣いた。情緒不安定すぎだ。
でも、私が思い出せる自分の取り乱しエピソードとしてはそれが一番パッと出てくる。実際に亡くなった時は思いのほか冷静だった。そんな自分がいま嫌になった。今日の同僚を見てなんか凄くそう思った。私はあぁなりたかった。心の中は悲しみの渦だったのに、そんなふうに取り乱すことができなかった。
そりゃ取り乱す必要は無かったとは思うよ。
だけど、冷静でいた分「大丈夫なんだろう」と周りに思われたのは不本意だ。全然大丈夫なんかじゃなかったのに。だったら私は取り乱したかった。なんでそうできなかったんだろう。
荼毘に付す時は一番めちゃくちゃに泣いたし、ところどころどうしてもダメな部分はあったけど、でも葬儀で笑顔が出たこともあったし、火葬中は普通に冗談だって話せていたし、葬儀のあとは落ち着いて参列者に挨拶していた。
決して穏やかな気持ちなんかじゃなかったのに。
もっともっと素直に感情や思いを出せていたら、どんなに良かっただろうと思う。これってその時ばかりではなくて、昔からそうな気がする。私は素直じゃないし可愛くないのだ。
今だってそうだ。
真っ直ぐに感情を出せない。
悔しくて悲しくて仕方ないのに。
1人でさめざめ泣くだけ。
素直に
あなたに
「苦しい」って言えたなら
どんなに楽なんだろう。。。
結局、同僚は、私が呼んだタクシーに乗って帰っていったようだ。家まで結構遠いし、電車通勤なんだからやっぱり今日休んでたら良かったのに。
家が金持ちなので、家にドクターとナースがついていたらしい。
だから安心して出勤しちゃったのかな。
「死に目に会う」ということが全てではないのかもしれないけど、同僚が仕事に行っている間に旦那さんが亡くなってしまった…というのは非常に残念だと思う。
考えてみれば、先日『金スマ』でもアンガ田中さんのお母さんが亡くなったとのことで、コロナ禍だからお母さんが病気になってから一度も会いに行けず、亡くなった時も東京に居た、、、というのを見て、私は死に目に会えたことは〝良かった〟のかも、と。
家族みんなで病院に駆けつけた時は既に母の意識は無かったし、あの状態を「生きている」としていいのか分からないけれど、でもドクターから「御臨終です」と言われた時には家族全員揃っていたのだ。
私は、それだけは良かったと思えた。
安倍元総理だって、奥様が到着してからの「御臨終」でしょ?意識が無くても〝生きてる〟うちに会いに行けてるのと、〝亡くなってから〟会いに行くのとは、、、やっぱり全然違う、と思ってしまった。死に目に会えてないかたには失礼な書き方になっちゃってるかもしれないです、ごめんなさい。。
もしかしたら私だって仕事中に連絡が来てたら電話に出れなかったかもしれないし、そしたら間に合ってないかもしれない。人っていつ死ぬか分からないから、時間だって読めない。実際、私の祖母たちは深夜に1人で逝ってしまった。それから会いに行ったのだ。あれはとても悲しかった。1人で寂しくなかったかなぁ、ついていてあげたかったなぁ、と思った。
離れて暮らしていたり、それぞれの暮らしがあったり予定があったり、、
でも人はいつ死ぬか分からないわけで…
もしかしたらそれこそ事故で亡くなるかもしれないし、即死だったとしたら…
色々なことを考えると、
私は家族みんなで母を見送れたことを〝良かった〟と思えた。
母にそんなに親孝行もできないで、最期だけ「見送った」なんて、そんなの綺麗事だろう。母だって「もうちょっと元気な時に色々して欲しかった!」って怒っているだろう。死に目に会えたというがそれは私たち家族の自己満足でしかないのかもしれない。もちろん、生前もっとたくさんのことをしてあげるべきだった。たくさんの感謝も。
どんなに墓石に「感謝報恩」と掘っても、母に伝わっていなければ意味はないのだ。
けれどももうどんなに後悔してもあの時間が戻るわけではないし、私は死んでからただ母に謝るしかない。
ただ
命ある限り私はまだ生きないといけないわけで、だから自分を肯定したいんだ。
あの時のこと、あれで、良かった、、、と。
死に目に会うリミットをくれたことには感謝している。神さまありがとう。
だけど私はあの時もっと「まだ逝かないで!」って足掻いても良かったんじゃないかとは思う。だってそれが本当の気持ちだから。
「もう頑張らなくていいよ、おつかれさま」
なんて、強がりだったと思う。
長女として「いい子ちゃん」してただけだ。
もっと取り乱して、
「お母さん逝っちゃ嫌だ!まだ生きていて!!」
って言えば良かった。
だって母には聞こえていた筈だから。
私は素直じゃない。
でも、
素直になりたい。
そう思った出来事だった。