『自由くん』と『孤独ちゃん』

自由と孤独は表裏一体

『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』

宮川サトシさん  著

 

正直言って、この原作本を知らなかったのだけど。

今日の仕事帰り、なんかメールチェックしてて、〝ぴあ〟からのメールで、この映画の舞台挨拶があることを知り。

なんていうかもうね、タイトルだけで

 

絶対に私が触れなきゃならない作品だ

 

と思ってしまった。

主演はヤスケンさんだし、舞台挨拶も観に行けるなら行きたいなぁと思ったけど休みじゃないため、とにかくこの映画に原作本があると知った瞬間、「買わねば。」と。

しかし仕事帰りは真っ直ぐ帰りたかった。

今日はバレンタインデーだからね。

昨日急いで帰って和菓子屋で買ったお菓子一式を父にあげないわけにはいかん。

 

だもんで、とりあえず帰って父に贈呈。

 

と、明日の弁当を作ってすぐ出かけた。

 

 

 

だけど、行こうと決めて行ったワングーがさ、潰れちゃったみたいで。。。

運転しながら、二度見・三度見しちゃったよ💦

ビックリしたし焦った。

 

仕方ないので近くのショッピングセンター?に行ってそこの本屋で探す…ものの、見つからず。

ついでに立ち読みしたかった雑誌さえ見つからず。

 

諦めて別のワングーへ行ったんだけど、そこでは、立ち読みしたかった雑誌を見つけただけ。

それは必死こいて立ち読みして(買えよ)、でもどれだけ本屋内を何周しても『母を〜』は見つけられなかったので、さすがに諦めた。

だからそこの駐車場でアマゾンからポチり購入。

 

けど、帰りにもう1箇所本屋を見つけてさ!

寄ろうとしたけど、アマゾンのやつ見たら「キャンセルできるかは分かりません」って出てるわけ。

んじゃーもういいや、ってんで帰りました。

 

で、ゴチのピタリ賞のノブさん見届けてたら、「キャンセルできました」ってメールが。。

 

え?キャンセルしてたの?私…。

そんなつもりなかったんですけど…。笑

 

つーことは、明日本が届かない、と。

 

だからもう1回着替えて出かけたよね。

どんな執念…。笑

 

最後に見つけた本屋、22時までの営業で助かったよ。

 

しかも、行ったらすーぐ見つけられた。

あのさっきまでの本屋でのグルグルは一体なに?ってぐらい、秒で見つかった。

1冊しか無かったけど、無事get。

店員さんもムチャクチャ几帳面にカバーつけてくれて、なんかホクホク。笑

 

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絶対泣くと思ったので、父が寝て、私も夕食済ませて、落ち着いてから読んだ。

てか、さわりだけ読もうと思った、

 

けど、止められなかった。

 

一気に読了。

 

 

もう、久々に信じられないぐらい泣いた。

涙も鼻水も止まらないし、目もめっちゃ腫れてしまって三重に。

泣きすぎて頭痛もする。

明日どんな顔で仕事に行くことになるのか…。こわっ。

 

そうなること、分かってたのにね。

 

こりゃ映画観たらまたヤバイよなぁ。。

 

 

本の中にもあったけど、似た境遇の人を探してしまうフシ、私もあると思う。

しかもまた作者さんと同年代だったし。

 

そういうのに、私は弱い。

 

 

『甘いお酒でうがい』以来だ、母を想って読んだ本でこんな泣いたん。

 

 

 

私は、母の〝遺骨を食べたい〟とは思わなかったけれど、宮川さんのその感情に対して異常だとかは全く感じなかったし、遺骨を自分の体の一部にしたかったということや傍に置いておきたかったということには、共感した。

っていうか、読んでて…あんなに「まだ(お骨)残ってるのに」片付けちゃうんだね?と。。うちは、ブラシまで使って綺麗に最後まで骨壷に入れてくれたけど…。

 

作中には、明子さんが亡くなってからの宮川さんの冷静な気持ちも描かれていた。人が亡くなると、家族は色々やらなきゃならないことや決めなきゃならないことが沢山あるから、慌ただしくて哀しんでいるヒマなんてないんだよ、、、と大昔に母が言っていたが、実際は父がパッパとやってくれてそんなに慌ただしくはなく。ただ、うちは葬式までの期間が結構あったので、穏やかな顔をした母の顔や肉体がしばらくは傍にあって、時間をかけて向き合うことができたのは私にとっては冷静になれる時間だったし大きかったと思う。母のメイク道具で化粧もしてあげられたしね。最期に与えてもらった大きな時間だった。

 

ま、亡くなった日に仕事させられた、ってのも、〝ワンテンポおけた〟という感じで客観視できた理由のひとつかもしんないけどね、今思えば。(とはいえ未だに職場や当時のボスに恨みはある)

 

母と向き合って冷静になれたとはいえ、母が火葬に入れられる瞬間が、私は人生で一番哀しかったしツラかった。だってあんなに愛した母の姿が、もういなくなってしまうんだもの。私はあの時、立っていられないと思うくらい気が遠くなったけど、どこか遠くで「気をしっかり!」と思う自分もいて、必死に合掌して母を見送った。

 

宮川さんは、その辺りは冷静に見送れたようだけど…。

 

私はどちらかというと、骨だけになってしまった母を見た時の方が、冷静だったように思う。最初は怖くて見れないと思ったけれど、でも実際の母のお骨を見てみたら、その姿に「母を支えてくれてありがとう」と思えた、というか…。

徐々に、周りに色々ツッコミとか入れられるくらい気持ちがおさまってしまったもんだから、自分の感情って不思議だな、とどっか変に思ったもんです。

 

遺骨は家に持ち帰ってから、しばらくは祭壇にありました。

父は、母が亡くなってから約半年後の母の誕生日に納骨をしようと言ってきたけれど、どうしても離れたくなくて、「寂しいから一周忌まで納骨は待って欲しい」と父に懇願した。それ以降は、一周忌まで納骨の事を父は何も言わなくなった。父の優しさには感謝しかないです。気が済むまで母を傍においてくれてありがとう。

 

だから私はこれから父をもっと大切にしなければならない、と思ったんだ。

 

 

 

 

 

作中には

共感できること、いっぱいあったな。

 

「母の作ったカレーが一番」っていうの、私もだー、って。

ついこないだ、母直伝のレシピをほじくり返してカレー作って、でもおんなじにはできなかったもんなぁ。また食べたいよなぁ。

 

父が母を愛してるのもそう。

生きてるうちは、めちゃくちゃヤなこといっぱい母に言ってたけど…好きな人ほどいじめたいんだか何だか、、、亡くなってからの母に対する想いが、もう。。。

その姿を見るだけでこっちが泣く、くらい、父は母を愛している。

全く。だったらちゃんと生きてるうちにもっとしっかり愛情注げよ、と思ったりもするわ。〝照れ〟だかなんだか知らんけど、不器用すぎんだよ父。まぁ昔からブレない、そういう人間なのだけどね父は。。

と、いうか、私の知らないところでは母はしっかり父からの愛を感じていたのかもしれないけれど。

 

家や近所に想い出が溢れ過ぎてるのもそう。

亡くなってから直ぐは、衝動的に色々な物を捨てられたけど、時間が経ってしまった今はあまり捨てられなくなってしまって、母が愛用してた物、もう汚かったりするのになかなか捨てられない。

「ここにいたくない」とは思わないけれど、周りに溢れる想い出が苦しくなってしまう時は、ある。

 

それと、宮川さんの病気ほど大変ではなかったけど私も入院したことがあり、その数年後、同じ病院で母を看取ったので、それも同じだなぁって。

私が病気した時の、母の根拠の無い自信まで一緒。

 

いつでも母は私の味方で、私の話をよく聞いてくれた。母であり、姉であり、親友だったと思う。

 

亡くしてから、私も普通に生活をし、食べたり笑ったり、そんなことをして過ごせている。

本に出てきた〝日にち薬〟の効果は、確かにあると思う。

でも母のいない生活は、やっぱり以前とは全然違う。目を背けているだけで、違うこといっぱいある。庭の花も減ったし、、、見える景色も・生活の彩りも違う。

 

そしてきっと宮川さん同様に記憶の母を美化してるとこもあるかもなぁ。そう。聖人化。笑

でも自分の記憶の中だから自由でいいよね?ね?

 

私も。

母は絶対に死なないと思ってた。

 

母に頼ってばかりの人生だったから、失ってしまったら私はバランスを崩して立っていられないと思った。母が元気だった時から、〝いつか母が死んだら〟という想像だけで泣けたりもしたくらい、異常に母に依存していたと思う。母が叔父(母の兄)と法事に出かけた時、叔父の運転のせいで事故って母だけが他界したら、絶対に叔父をころす!とさえ思ってたもんね。(どんな妄想だよ…)

 

でも実際は母は病気になった。

結果を聞く状況も、本の中と似てた。(病気は全然違うけど)

不安がる母に、私はおちゃらけることしかできなかったな。

 

介護生活が何年続くか予想も出来なかったけど、母はあっという間に逝ってしまった。

亡くなった時、〝今日で全部が終わるんだ〟って思った宮川さんの心境…私もそうだった。

母の苦しみも終わる。私の介護生活も終わる。

あの日、どこかホッとしてしまった自分を、時が過ぎ、悔やむ日もあれば仕方なかったと思う日もあったり。

 

介護生活は思ったより壮絶で、何度も母に声を荒げた事もあった。うまくいかない・今まで通りにいかない歯痒さはきっと母の方があったろうに、一体私は何に焦って苛ついて騒いでいたのだろう?

…と、今なら反省できる。

が、当時は必死すぎて無理だった。

 

悔やんでも悔やみきれない。

謝っても謝りきれない。

いつか私が死んで、母に会えたなら、とにかく1回土下座して、そして、抱きしめたい。

 

 

 

母にとっては苦しい2年だったと思うけれど、私はその2年はやはり、自立の為に頂けた猶予期間だった・必要な日々だった、と思っている。

母が台所に立てなくなって、私が全部やらなければならなくなってからは、母に口頭でレシピを訊いたり、味見をしてもらえたりもした。本当は元気なうちに何度も一緒に台所に立って、もっともっと沢山のレシピを教わっとくべきだったけど…それでもあの2年は貴重だったと思う。私が家事を一通りこなせるようになれたから。母が最期に私に与えてくれた大切な時間だったのだと思う。

 

例えば事故で即死だったら、なんにもできない私がポンと取り残されて、それこそどうにもならなかったと思う。取り乱して勢いで自ら命を絶ってたかもしれない。

だけど、介護をした2年は母との距離もとても近かったし、私も鍛えられたし、病気の進行度合いで覚悟のようなものもできてきてたし、必要な時間だったと思う。

 

それでも、早すぎると思うけどね。

 

職場に、三世代・四世代の家族が来たりすると、やっぱり羨ましい。私は独りだから。

 

あと本の中では、宮川さんは彼女さんにとても支えられてるから、それは大きく違うところだな、って。

明子さんは〝おばあちゃん〟にもなってるしね。

 

うちの母は〝おばあちゃん〟にはなれずして逝ってしまったし、私は未だに独りで夫も子供も孫も期待できないし。

そういう人生を歩んできてしまったので、仕方ないことだけど。

 

でもやっぱり羨ましかったな。

 

いつまでも泣いたり悔やんだりしてると、傍にいる母が哀しい顔をする、って言われたけど。

 

『通院の時あれだけ乗ってた僕の車の助手席に今も乗ってるのかな』っていう本の中の1コマ、グッときたなー。

 

 

明日も仕事だしどんだけ目ぇ腫れるか心配だけど。

今日はもう泣くモードだから、とことん泣くわ。

 

明後日はライブで笑えるからね。

今日は、、、

 

ね。

 

#ぼくいこ