『LIFE! 5minutes』を録画したくて番組表をちゃかちゃかいじって見ていたら、『ファミリーヒストリー 選』というものを見つけた。以前放送された、麒麟の川島さんのファミリーヒストリーのようだった。そこにチラっと「亡き母」と書いてあったため、私は迷わず録画した。
じろうさんのこともそうだけど、同年代でお母さんを亡くしているかたに私は弱い。
「弱い」という言葉は果たして合っているのか……
とにかく…親近感からファンになってしまう(気持ちが寄り添ってしまう)傾向があるように思う。「仲間意識」というか。
以前『ばばあの罠』で私が初めてステッカーを獲得した時のくだりで…じろうさんが「お母さんを亡くしているかたには全員(川柳の)あっぱれ(あげる)」というようなことを言っていたが、正にそれとおんなじ感じだ。
「お母さんを亡くしている者」という〝同志〟の感覚…みたいなね。おんなじ傷を負った者、、、だから私は彼らの気持ちも解るし、私の気持ちも解ってもらえているように思う。
それが〝同年代〟となるとまた気持ちの入りかたも違う。
もともと川島さんのことはずっと好きだったし、、、だから番組を観てまた更に意識するようになっちゃったなぁ。
今回、番組を観てひとつ気持ちが少し変わったことがあったので、それを記しておきたくてブログを書くことにした。
川島さんは、お母さんの容態が悪くなってしまった時、『ラヴィット』の生放送中だったそうだ。
状況を知っていながら、そんな素ぶりは一切見せず、いつものように明るく「芸人・川島明」として番組をやり切った…と。
私はそのくだりを見て、「なんてかっこいいんだ」と泣いた。
だって絶対にお母さんの死に目に会いたかった筈だもん。でも、それでも仕事を全うする姿。…それはそれでめちゃくちゃ親孝行だと思うんだよ。悦子さんはきっととても安心されたはず。
だけど私はこれまでずーーーっと、母が亡くなった日に職場に行かされて仕事をした…ということを、ただただ恨んでばかりいた。なんっていうブラック企業だ!…と思った。
いや…それは今でも思っているのだが。
しかし、川島さんが立派に仕事されていた姿を見て、私もあの時自分が任されていた仕事を責任持ってやったことは、「間違いじゃなかった」と認めてあげられたような感じがした…というか。なんだかちょっと心が軽くなった気がしたんだよ。
自分の中につっかえてたものが、すっと流れていった…ような。。(正確には自分の中には残っているけれど、〝苦しさを感じるほどの引っかかり〟では無くなったような気がした)
これまではずっと、「亡くなったばかりで仕事行くとかありえん!」とか「なんで誰でも仕事できるように人員配置できてねぇんだよ!」とか思っていたけれど…いやずっと進行形で思ってはいるけどもさぁ笑、ただ、あの時はやっぱり私しかあの仕事をできなかったわけで。
それをやり遂げた…ということに関して、もうちょっと私は胸を張っても良いんじゃないか…と思った。
母だってきっと、褒めてくれたんじゃなかろうか…とかね。
本当なら「あなたにしか出来ないことをよくぞやり遂げたね」…と母の〝言葉で〟褒めて欲しかったけれど、、、
でも妄想でもいい、
母があの日、褒めてくれてたと信じたい。
私は川島さんの姿を見て、、、
私なんかそりゃ全っっっ然川島さんほどには及ばないんだけれども…
どこかあの立派な川島さんの姿に、自分を重ねてしまった、というかね。
恨んでばっかりいないで…どうせ時間は戻せないんだし、あの時の自分をもっと褒めてやったらどうだ、と思えたんだよ。なんか。
これって、凄く小さいことのようで、私にとってはめちゃくちゃ大きな一歩なのだと思う。
あの時置いてきてしまった何かしらの〝心〟が(心の全てではなくて、あくまでも一部なんだけど)、やっと前を向いて歩き出せる態勢になった…というか。
川島さんの『ファミリーヒストリー』、観て良かったと思う。号泣せずには観られんやったけど。。
再放送してくれたNHKにも感謝。
なんか、、、出会わしてくれたんかなぁ〜?とも思う。『LIFE! 5minutes』のあとに放送してたんだものね。
職場に対する不審感とかイライラとか、それは相変わらずだけれども笑、、ほんの少しだけ気持ちが変われたこと…これを嬉しく思います。
川島さん、ありがとうございました。
5月は
月命日と母の日と誕生日にお墓参りしっかり行かないと!!!(いつも通りだけど!)