松本人志、アイドル自殺問題で主張「『死んだら負け』教えるべき」 (マイナビニュース)
世の中には色んな事が渦巻いていて、それぞれの人がそれぞれの悩みを抱えている。悩み過ぎて病気になって、衝動的に自殺してしまう人もいるのでしょう。これはもう難しい問題で、私が語っても薄っぺらくなることはわかってるんだけど。でも、身近な人の死に関わった者としても、心の病気になっている者としても、何か引っかかってね。
勝ち負けどうこうとかいうのは、当事者からしたら関係ないことで、その時の最善の方法だと考えてしまうからそういう結果になっちゃうんだよ。てかもう、それしかない、って思っちゃうんだよ追い詰められてるからさ。
しんだら負けだから、とか思える余裕があんなら自殺なんかしてないと思う。
逃げる方法を考えられる余裕がまだある時に、ここで、逃げなくちゃいけないんだよ。追い詰められて追い詰められて、気づいたらもう選択肢が1つになっちゃってるんだよ。こーなった時に周りがどう助けてあげられるか、が大事。ここで更に追い詰められたら、もう、あと一歩で、、、ということになってしまう。
哀しいのは、失われなくてもいい命が失われること。
正直ね、しにたい、と思う人はその選択をしてもいいと思うのだよ。
だけども、本当はしにたくないのに、このままじゃ生きてられないからしぬしかない、って人は助けたいと思うのだよ。どうにかできないのかなと。
というか、「本当にしにたい人」っていうのは、いないんじゃないかなぁ。
自分の身は自分で守るしかないよねーきっと。。。
周りの大人たちも、あんまり信用できないし頼りないし。
「亡くなった人を庇ってしまいがち」「しんだら皆が変わってくれるという風潮が嫌」という松っちゃんの話には共感した。
結局ね、変わらないんだよ。しんだその「時」だけ一瞬は変わるかもしれないけど、そのあとは変わらない。だからね、命かけることじゃないの。無駄なことしちゃダメ。親が命がけで産んでくれたのに。
自分自身も、様々な事に悩んで、もうこんなくらいならしにたい、って何度となく思ってきた。でも苦しんでしんだ先に、また新たな苦しみがある方が嫌だからそれはしない。
生きるのもしぬのも自由だけど、勿体ないと思う。
「そこ」から逃げ出せば、全然違う世界は絶対にあるのに。「そこ」にばかりとらわれて、無駄にしぬのは絶対に勿体ない。
それに、私は大切な人を失って、身近な大切な人を失う事がこんなに哀しいのかと。
当事者にとっては、悩んで悩んで出した結論だったのかもしれないけど、命を粗末にしすぎ。軽く扱いすぎ。しんだって違う世界はもうないんだよ。苦しいだけの、闇しか。
生きるのはつらい。
でもみんなつらい。
でもいつかしぬ。
今じゃなくていい。
生きてりゃ楽しいことあるよ!なーんてバカバカしいこと言わない。(いや、あるけどね)
つらいことからは逃げて逃げて、逃げて生きろ。
使命だから。
そのうち天寿は全うされる。