『自由くん』と『孤独ちゃん』

自由と孤独は表裏一体

答えの出ない葛藤

職場で見た、車椅子の女性。

母よりだいぶ年上で、母とはまた違う病気なのだとは思うけど、表情とか動きとかが似ていて、どうしても母を思い出してしまった。

顔の表情筋をうまく使えないような感じなので、微笑んでいるような…哀しんでいるような…真逆だけど、なんでか、どちらの表情にも捉えられるんだよ。

あの表情だけじゃ、何も読み取れなかったな。。

 

母は、国指定の難病でした。

 

ネットで調べても、あんまり事例が無くてよくわからなかったし、寿命とかも色々で…。

どんな風に進行していくのかも分からなかった。

 

ただ、長生きしてる方もいるようだったから、母も、病気は抱えててももっと生きてくれるの、だと、思っていた。

 

けれど実際には思いのほか進行が早くて…。

若かったから、とかいうことでも無いと思うんだけど。

 

急に歩けなくなったり、急に立てなくなったり…

何を喋っているか解らなくなったり…

戸惑うことばかりだったなぁ。。

 

 

 

 

職場で見た、あの女性。

 

話しかけられた事には答えられるけど、自らで動けるわけではないし、食事介助してもらって食べるのがやっと。

 

 

母もそんな感じだった。最期の方は。

 

起きて、介助してもらって、寝て。

そしてまた明日がやってきて。

同じ繰り返し。

 

今の母の幸せとは何なんだろうと、毎日考えた。

 

 

 

職場であの女性を見ると、その時の気持ちが蘇ってしまう。

あの女性の幸せって、何なのだろう。。。

 

『幸せ』なんて、他人の物差しでは測れない。

 

 

 

以前、やはり母と同じくらいの年齢の別の女性が…この方は脳の病気で不自由なのだけど、でも、ちょっとお高めのお寿司を食べてて「こんなに幸せなことはないね」と言っていたのを聞いた。

幸せ、って、自分の感じ方ひとつなんだ。と。

大きいも小さいもない。幸せは幸せなんだ。と。

 

だけれどもね、やっぱり、自分ではもう好きなところに行けなくなって、希望もうまく伝えられなくて、介助してもらえないといけなくて、ただ、朝が来て夜が来る…という繰り返しの中の、どこに幸せを見いだすのだと、ふと考えてしまうのですよ。もう完全に余計なお世話なんだけど。

 

母を重ねてそう思った。

 

 

あぁ、母はもう家の2階にも上がれないのか。

あぁ、母はもう車の運転もできないのか。

あぁ、母はもう台所にも立てないのか。

あぁ、母はもう自分で化粧もできないのか。

 

こんなもんじゃない。

むちゃくちゃあった。

「もうできないのか」ということ。

 

できないことばかり数えても仕方ないのだけど、「できる事」は今なんなんだろう…と考えることさえ、寂しかった。急速に「できる事」が減っていったもんだから。。

 

 

母にはこれから自由に色んなとこ遊びに行って欲しかったし、ほんと「これから」の人だったの。

可哀想すぎて…。

だから、私は母の介護は頑張ろう、と思った。

なんでもちゃんとやろう!と。

 

だけど私は完璧主義なところがあるから。

うまくいかないとイライラもしたし、ツラく当たったりもしたし。。。

 

ちゃんとやろう!

…は、実は空回りで、

全然、ちゃんとなんか出来てなかった。

 

母に喜んで欲しくって、車椅子の母を連れてちょっとだけお出かけもしたけれど、、、

これってただの私の自己満だったのかもしれないな。私が思う「母が喜んでくれるだろう」という気持ちを、ただ押し付けてただけだったのかもしれない。

母となるべく傍にいたかっただけだけど、ただ、想い出作りに躍起になってた、ってだけだったのかなぁ。。「亡くなるかもしれない」前提で行動してたのかな…ヤダなぁ自分。。情けない。

 

といっても、私はあのお出かけはとても楽しかったんだけどね。母も…楽しんでいてくれたなら。。もっと。。。

 

 

 

 

未だに思う。

 

セカンドオピニオン、サードオピニオンに行ってたら、まだ母はこの世にいたのかもしれない、と。

もっとちゃんと治療できていたのかもしれない、と。

 

私がもっと稼いでいて、もっと満足いく介護ができていたなら…。

 

何が正解で何が不正解だったのか、未だに分からない。いや、正解も不正解も無い、んでしょうけど。

 

後悔したって今更…なのにね。

 

 

 

こうやってグズグズ考えてメソメソすることは、ただ母を哀しませることなんだ…とは思っても、やっぱり未だに時々考えてしまうよ。

 

最期の頃、毎日のようにヘルパーさんに泣きながら「しにたい…」とこぼしていた母のことを考えると、本当に胸が締め付けられる。謝っても謝りきれない。私がもっともっと優しくしてあげられたなら。毎日寄り添ってあげられたなら…。

 

亡くなって2年半。

病気が発症して…5年くらいかな。

 

もっと、何か・どうにかしてあげられなかったかな…と思う。

 

母ともっとベラベラ喋りたかったなぁ。。

母にもっと料理とか教わりたかったなぁ。。

 

 

母が亡くなってからも、私には普通に毎日がやってきて、〝家事をやるようになった〟ぐらいで以前と状況は殆ど変わりなく、笑ったり怒ったり…なんだかんだ生活してはいるけれど。

でも、こうやって時々やってくる〝母を想う津波〟に、ツラくなってしまう。

 

思い出しちゃうキッカケとかあるとね、振り返っちゃうよ。どうしても。

 

 

 

なんか、何となくだけど…

母の難病のことを今また知りたくなって…同じ病気の人は現在どう頑張ってるのか気になって、今日、ネットでふと調べたの。

 

そしたら…

 

 

 

 

 

 

 

その病気で「妻を亡くした」という方が、亡くなっている奥さんの横でピースしてる写真が出てきて、とても落ち込んだ…。

 

最愛の奥さん亡くして、隣で〝ピース〟じゃねぇよ…。

 

ご遺体の写真、撮ったとしてもネット上に載せる?普通…。

(正直、私も撮ってはいますので撮って自分で残しておくことに対しての異論は全く無いです。でも、ネット上にあげるのはちょっと…。ちなみに私は、ツーショットやピースしてる写真なんかは一切無いです。荼毘に付されてしまう母の、最期の姿かたちをどうしても残しておきたかっただけなのです。)

 

 

いやさ、そのご夫婦は、それでOKな間柄だったのかもしれないよ?

 

でも私はただただショックだった…。

 

検索なんか、しなきゃ良かった。

失敗、、、。

 

 

 

 

 

 

私はもう母を亡くしてしまったので、今更ごちゃごちゃ言っても戻ってどうこうできることでは無いのだけれど、でも、今日職場であの女性を見て、どうしても母を思い出して懺悔の気持ちがいっぱいわいてきてしまったのと、母の人生は幸せだったのだろうか…と頭でグズグズ考えてしまったので、ここに記しました。

 

これも〝私〟だから。

 

 

 

早く命を全うして、母に謝りに行きたいなぁ…。